誰かあの本を知らないか

読むことについて書かれた作文ブログ。

MENU

三島由紀夫『近代能楽集』弱法師(よろぼし)

 

f:id:dokusyonohito:20220112221254j:plain

三島由紀夫『近代能楽集』新潮文庫(昭和43年3月25日発行)


能という演劇は、古典芸能の特徴で、どうしても衒学的なところがある。詩句の典拠を知らないと、なんのことやらさっぱり分からない。歌集、物語、説話、漢籍仏典、さらにその諸註釈書。そのうえで舞楽を併せた総合芸術となっている。

 

これは洋の東西を問わないことで、明治時代、幕府とともに尽きる数命にあった能は、岩倉具視によって掬い上げられた。岩倉が使節団をひきいて米欧を巡ったさい、諸国でオペラ等の観劇でもてなされたことが念頭にあったのだろう。

滅びなかった能はのちに大衆化した。能、謡曲、謡の本はよく売れたようだ。能の題目を聞くだけで、日本人のおおくが内容をそらんじている時代があったのである。有名な題目はさまざまあるが、

邯鄲

綾の鼓

卒塔婆小町

葵の上

斑女

道成寺

熊野

弱法師

どれも昔の日本人にはなじみ深い演目だ。それは教養というほどのものではない。通時的に長らく民俗に共有された、文化と呼ばれるべきものだ。オペラを観た岩倉が、すぐに能を思い出したのは東西が異なるだけで、いずれにも文化という様式が存在したからだ。

冒頭、能のディレッタンティズムを指摘した。三島由紀夫が衒学趣味だとは言わないが、様式が支配する文化その東西の、とりわけて演劇文芸に造詣の深かった三島が、能に興味を示さないはずがない。ちなみに上に挙げた能の演目は、本書『近代能楽集』所載の8編に対応している。緊密でスタイリッシュな形式、構造を好んだ三島にとって、能は好個の素材であったろう。解説はドナルド・キーン

筆者が先だって読んだキーンの『明治天皇』はかかる興味から読まれたものだ。

dokusyonohito.hatenablog.com

本書は能を題材にその翻案から創作された戯曲である。キーンの解説も簡明ながら造詣の深いその教養を示しているのだが、上記8編のうち、「弱法師」の解説だけ、どうも歯切れが悪い。

「軽い調子のようだが、何かに苦いものが感じられる。」

「能の弱法師のように救いも父親との再会もない。」

なんだか、よくわからん、と言った書きぶりだ。

筆者なりに考えてみたが、これはどうも「弱法師」だけが能からの翻案ではないせいではないか。

以下、三島「弱法師」のあらすじを書いてみる。

主人公は俊徳。戦争孤児で、戦火で障碍を負い、目が見えない。浮浪していたところを川島夫妻に拾われ養われる。俊徳二十歳のころ、実の父母、高安夫妻が現れる。親権を争ってのことだろう。

登場人物は俊徳、両夫婦、そして調停委員の級子。舞台は「家庭裁判所の一室」。時は「晩夏の午後より日没にいたる」とある。

俊徳は、養父母から「狂人」と称される青年に成長していた。俊徳自身、戦火に焼かれた恐怖を語り、「世間」並みということを軽蔑する青年。両夫婦は、いわゆるトラウマみたいなものを想定し理解しようとするが、俊徳はそれをこそ拒絶し愚弄する。この世は虚ろで社会は愚かしいと称える彼は、ニヒリストと言っていい。しかし親権が欲しい両夫婦は、俊徳の機嫌を取り結ぶために、俊徳の愚弄に堪えて従う。

当然、調停はすすまない。

ここで両夫婦は退席し、級子と俊徳だけの舞台となる。

日没の夕焼けを眺めるふたり。親たちの理解を冷笑した俊徳だが、級子には、自らの経験、戦火の恐ろしさ、自分の傷のありかを説く。そしてその崩れてゆく世界こそが世界の本質だと言い、理解を求める。しかし級子はこれに同意しない。その俊徳が信じこんでいる世界こそが、俊徳を世界から拒絶していることを一言で言う。

「あなたはもう死んでいたんです」と。そして「つまらない」雑事なる世界に彼を引き戻す。末尾は、俊徳ひとりを舞台に残し、幕。

このように、鍵となる人物は級子だが、岩波古典文学大系『謡曲集』の、どこをどうひっくり返してみても出てこない。能「弱法師」はキーンの説くように父子再会の物語なのである。下敷きに、大坂四天王寺の日想観がある。三島「弱法師」が「日没にいたる」時刻を設定しているのはこのためだ。

さて、それでは少し遡ってみてはどうだろう。

世阿弥元清作能「弱法師」形成にあたっては、説話として流布していた「俊徳丸」の物語が背景にある。こんどは新潮日本古典集成『説経節』「しんとく丸」を見てみると、信徳と婚約を交わした「陰山長者の乙姫」なる登場人物が出てくる。

盲目となり高安長者の家を追われた信徳に、献身を尽くす女性である。

行方知れずとなった信徳を乙姫がやっと見つけ出すと、信徳は、身の零落を恥じ、身を偽ろうとする。すると乙姫は

乙姫にてない者が、御身がやうなるいみじき人いだきつかうぞ。お名乗りあれ。

この乙姫の献身に動かされた信徳はふたたび名乗り、両人連れだって再び世に出る。

詳しくは説経正本でもみていただくとして、説経節においては、父子再会ではなく、夫婦再会の物語が中心となっている。折口信夫が『古代研究』「水の女」で説いたように、水の神に仕える女性が、神の申し子である信徳を救う。もとより、「乙姫」は竜神の娘の名である。そして、かつての四天王寺は寺域に海が含まれていた。

 

三島のことだから説経正本くらい目を通していただろう。そして、この自らの意思で積極的に行動する乙姫という「現代人」に、三島が着想を得たのではないか。

「この乙姫でない他の誰が、あなたみたいなひどい病人に抱きつきますか」

と信徳を叱咤鼓舞する女性。ニヒリストを一言のもとに黙らせて立ち上がらせる女性。痛快なところがあるのは確かだが、それでほんとうに男が救済されるのかどうか。それをキーンは歯切れ悪く「苦いもの」と言った。近代アメリカ人には理解できず、近代日本人男性だけが宿痾のように引きずる、甘々とした母子関係の夢想と言ったら、もはや江藤淳の『成熟と喪失』の世界だ。

これについては稿を改めるべきだろう。擱筆