樋口一葉『たけくらべ』音の読書、意味の読書
ずっと気にしていて未だわからないのが一葉である。
略歴
奈津、夏子、なつ、とも言うが、本名は奈津らしい。歌人としての雅号を夏子。新聞投稿には浅香のぬま子。春日野しか子。
いくら筆名とはいえ、浅香の、に、春日野、はあんまりだ。
八丁堀同心の子で明治になっても父則義は警視庁属官、長兄泉太郎は大蔵省勤務で、裕福ということはなかったろう。
明治19年、教育は中島歌子の萩の舎に学んだことが知られている。萩の舎は和歌と書の学校である。当時、上流階級の子女が多く、ある種のお嬢様教育の学舎であったらしい。
しかし明治20年、22年に父と長兄を亡くす。やがて早世する一葉の命を奪う肺結核である。樋口家は没落し、生活は困窮をきわめた。
そうした中、文名を挙げることは家名を負った一葉のひそかな願いになる。
半井桃水の弟子となるが恋愛関係に陥り、決別。父と兄の急逝後、逼迫した家計をささえるために小商いの店を構えるも、後に小説に専念。発表した作品は露伴、鷗外の絶賛を浴びたが、一葉に余命は残されていなかった。
明治29年11月23日、結核により死去。享年かぞえで25歳。
音の読書、意味の読書
いまでも、一葉は女流文学の祖のように位置付けられている。その内容という〈意味〉を敷衍拡大して受け継いだ作家はあまたある一方で、文体を受け継ぐ者はなかったという、そんな作家である。
もちろん、一葉死後に、言文一致運動が自然主義に収斂し、擬古文体が放棄されたからだが、今回は『たけくらべ』の文体をめぐって思いつきを書く。
一葉は、古典和歌の素養があった上で、半井桃水の弟子となり、江戸の戯作文体も身につけていた。それは会話文に見え、会話に入ると文章がすっと軽みを帯びる。地の文に戻ると、平安文学の仮名文の流暢さと、江戸期の草子物にみられる文体と軽妙さが効いて、小気味がいい。掛詞、体言止め、はともかく、き、けり、ぞかし、の文の閉じ方は、現代日本語が失ってしまったものである。
また『たけくらべ』は便宜上「、」「。」が打ってあるが、実は要らない。近代以前の日本語にはなかったものだ。
「廻れば大門の見返り柳いと細けれど、」から始まる書き出しとその第一章は、そのままいくつもの「、」を挟んで連綿とつづき、数十行経てこの第一章末尾の「何処やら釈といひたげの素振なり。」でやっと結ぶ。
『源氏物語』の「いずれの御ときにか」から「御局は桐壺なり」までの連なりを想起するとわかりやすい。
これは古典語の、「き」「けり」「ぞかし」他、体言止めが、現代日本語で言う、「だった」「だったそうだ」「ことだよ」と必ずしも対応構造になっていないからではないか。直接の過去、伝聞の過去をあらわすと学校では教わるが、古典語の文は助動詞で必ずしも閉じない。体言止めにしても、必ずしも「止まらない」。閉じないまま次の文が始まるのである。いってみればそこに糊しろがあって、文が終わらないまま、次の文を重ねて続くのである。
武士は人の鑑山*2、くもらぬ御代は、久かたの松の春。千靏萬龜*3のすめる、江州の時津海。風絶て浪に移う、安土の城下は昔になりぬ。*4
言葉と言葉のあいだに糊しろがあって次々継いでゆくから、文章自体は短くて内容は豊富になるわけだ。
擬古典派などと呼ばれる紅露逍鷗が、これを捨てかねた合理的な理由はあったのである。彼らなら自然主義派の半分以下の分量で同じことを言う。
「、」「。」これが元々の日本語にはなかったものだとは、すでに言った。近代の印刷以前は、適宜分かち書きにすればよかったから、これは無用であった。さらにつけくわえれば、絵巻物や画讃に見えるように、〈書く〉ということは見た目の姿、その美学にかかわることで、近代的な〈意味〉にかならずしも拘束されない。
例えば和歌の書記法は、現代日本語なら、〈意味〉に縛られて、切れないところを平気で切る。散らし書きはそういった美学の産物である。
『たけくらべ』の「、」は一見〈意味〉で区切られている目印に見えるが、よく読むと拍子、音律〈リズム〉で区切ってあるのが分かる。現代日本語の読み方で読むと読みにくいのは、こんにちの読み方が〈意味〉で読むからだ。
そういった観点からすると一葉の文体は音楽に、近い。正確にいえば、文章と音楽が未分の状態にある。背景には、とうぜん、「音読」の文化があることは言うまでもない。「音読」は読んで聞くものだが、耳で聞いて〈意味〉を拾うのは至難の技だ。
また、一冊一編を読み飛ばして投げ出す文化もなかったろう。玩味熟読、読書百遍は、金言箴言のたぐいではなく、読書文化そのものであったはずだ。
現代日本語は〈意味〉に束縛されている。読み飛ばしが可能なのも〈意味〉ゆえである。論文は斜め読みに読めるが、『たけくらべ』をななめには読めない。
文庫本の解説をみたら、「リアリティ」と書いてあった。しかし『たけくらべ』には近代文学を成立させ、そののち脅かすにいたる「リアリティ」はないだろう。
写実主義は、文学史上、言文一致に結実したことになっている。「リアリティ」の元だねは、写実主義という、一生懸命自分の目でみたことを正直に書くこと、ではなく、「、」「。」と末尾の結び語で、〈意味〉を分化させたときに生まれたと見たほうがよい。創造的ではなく、かなりのぶぶん、純粋に「技術」「技法」のもんだいであったのではないか。
早逝した一葉は、それほど多くの作品を残したわけではない。こころみに、筑摩書房の『樋口一葉全集』全4巻・別巻2巻のもくじをながめて見ると、発表された小説は幾編もない。未定稿、断簡、資料、日記、和歌を除いたら、一巻はおろかその半分もなさない。逆にいえば、全集のほとんどは小説ではない。
ここに一葉を読んだあとに残る感興をあらぬ方向にみちびく陥穽があるようだ。
たとえば和田芳恵に浩瀚といってもよい研究がある。ざっと見ただけでもさまざまな女流作家の手による評伝がある。筆者は、文学研究家が作家という人物を調べることを否定も肯定もしない。搦め手から回れば楽屋が割れるという考えを、その不思議を思うだけである。
また、この人物研究からは影響関係という、よく考えるとなんだか分からない見方が出てくる。前回筆者も、半井桃水の戯作の「影響」だなんて書いた。こう書くと便利は便利なのだが、じゃあそれが何なのかと指し示すことができるかと言うと、できない。なあんにも言っていないとの同じ、という場合がしばしばある。
そもそも、筆者は研究家でも評論家でもない。読者である。目の前の本を、じつに低級に読み流す読者である。人物と影響との関係、相関図がないと読めない本は、本として致命的な欠陥があるとみなさざるを得ない。詞書のある詩歌のようなものだ。あまり良い趣味ではない。
それでは何を〈読む〉のだろう。
内容あらすじに言及する向きもある。しかし、これもそれ自体では、とくに何のことはない。〈情報〉の授受が言語の目的だと開き直っているようなものだ。すでに述べたとおり〈意味〉の束縛、である。この束縛のなかで読めば、一葉の小説は、時代背景と生活の困窮と悲哀、社会における女性と女性性をめぐる文脈で読まれる。それより他に読みようがあるだろうか。
しかし、この〈読み方〉だと、『たけくらべ』は読めない。子供の世界を描いたファンタジーのような読まれ方しか残されていない。
読んでいるときに読者が経験したことと、〈意味〉として語られることの乖離が、読者である筆者に、ある種の居心地の悪さを覚えさせる。そんなこと、書いてあったかしら、と思うのである。
筆者は早計なので、一葉の文体に近代的な〈意味〉はない、と書いた。この場合の〈意味〉が、ABCどれでもない、ともここまで書いた。無用に、読んでくださっている方を混乱させる意図はない。一葉が『たけくらべ』で成したこと、を知りたいのである。
近代的な〈意味〉は、作者のあとをついてゆくことで辿れる。論旨、文脈、描写、いずれもそうだ。これを読んで読者は〈意味〉を見出す。前回、文学と音楽が未分の状態にあると言ったが、音楽、とりわけ音には〈意味〉はない。たとえば街の雑踏に〈意味〉を聞き取るようになれば人は狂を発するだろう。あるいは、物、に意味を見出し始めるのも同断である。もちろん、近代的〈意味〉のいとなみは、万象にそれを求めるわけだが、反対からみれば、それに束縛されている。
『たけくらべ』は、こうした〈意味〉を無理に読むことをやめれば読めるのである。少なくともの筆者は、そう読んだ。
文体が、平安仮名文学から江戸戯作までの〈影響〉にあることは誰が見てもわかるが、古典世界の文学とは、〈意味〉ではない。古語の「言霊」は、けして〈意味〉ではない。言葉そのものをそれ自体として崇め恐れるものだ。近代文学から、ぎゃくに古典世界を照射することで無理やり〈意味〉が見出されるが、もともとそれらの言葉、文体には、他の〈意味〉に翻訳されうるものではない。
話がややこしくなりすぎたようだが、読んでいる方、今回は諦めてください。このまま続けます。
また、『たけくらべ』は漢語と漢文体がていねいに取り除かれている。漢文学は〈意味〉の体系だからだ。一葉が『うもれ木』を書いたときには、明らかな露伴の影響下にあったものが、本作に至って、そこから離脱している。
一葉が、〈意味〉の体系からの離脱をもくろんでいたとすれば、これは言文一致のなかにあって、孤独な行為である。「過大」とも称される露鷗の賛辞*5は、この孤独を見抜いた者の少なさを物語っている。世人こぞって、今にいたるまで、〈意味〉に汲々とするなかで、まったく違う道を見つけ、歩んだからだ。
一葉が書いたのは、言葉そのもの、文そのものである。
自己表現でもなければ、苦衷の吐露でもなく、まして〈意味〉をめぐる戯れでもない。露伴の小説は、該博な知識と漢語の戯れからやがて書かれなくなった。鷗外は歴史小説という出来事そのものに向かった。その他の作家は言うに及ばない。それらと全く違う彼岸に一葉は達したのである。
一葉の文体に後継がないのも、彼女の文体が、〈意味〉から懸絶しているからだ。〈意味〉という中身を運搬する器として、一葉の文体はできていない。そっくり真似するか、まったく真似しないかの二択である。〈意味〉を抜き取ろうとすると、たちまち一葉の文体は壊れてしまうのである。
ゆえに、独自ではあるが、けして堅牢ではない。
前回、古典日本語の「糊しろ」と言ったが、短冊を継いだ紙細工みたいなところがある。萌黄、桜いろ、山吹茶、紅藤色に胡桃色、色とりどりの紙細工に、どうして〈意味〉を求める者があるであろうか。