誰かあの本を知らないか

読むことについて書かれた作文ブログ。

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ヴェルヌ『八十日間世界一周』時間の旅行

一気呵成に読むがいい。そんな小説である。
科学小説の祖で、児童文学の傑作。世界じゅうでどれほどの人がそれぞれの言語で読んだか知れない古典的名作。
いっぽうで、フランス植民地主義帝国主義の思想が反映していて、資本主義経済観念の、権化、のようにも言われる。
今なら、インテリが手ぐすねひいて待ち構えている処にみすみす飛び込んでいくような、そんな脇の甘さが魅力でもある。彼ら文句を言わないと立つ瀬がないから仕方ないが、あんまり意地悪をいうものではない。

岩波文庫の解説には訳者みずからの、丁寧な解説がついている。これによれば、1860年エドゥアール・シャルトンによる版画入り雑誌『世界一周』が下敷きになっているらしい。影響、参考、なかば剽窃とされるようだが、作品に仕上げたのはヴェルヌである。
おっちょこちょいで、早とちりで、軽薄なところもヴェルヌの良さだったりするから一概には言えない。

泥棒でも英雄でも嘘つきでも正直者でも、なんでもいい。面白ければ何でもいいなんて、作者ばかりじゃない。読者もおなじだ。泥棒であり英雄であり嘘つきであり正直者なのだ。いつでも本は罪作りなのである。

扉見返しに1873年とある。フランス語は筆者読めないから、わかるのは年号だけである。1869年にはレセップスによるスエズ運河開通にさいしてトーマス・クックが開通式参加ツアーを組んでいるくらいだから、フィリアス・フォッグ氏による世界旅行は荒唐無稽にもみえるが、まるきしの空想でもない。むしろ、空想を飛躍させる土台のほうが興味ぶかい。だいいち、無から生まれた空想なんて誰もついていけやしない。想像力はちょっとだけ飛び立つものだ。

パスパルトゥーを伴った冒険があわや破滅に追い込まれる結末で、ひっくりかえるのはご存じのとおり。自転する地球と旅するフォッグ氏一行。世界一周という空間の旅だと思って読んでいくと、実は時間をめぐる旅でもあったと種明かしされるのが、この作品の工夫である。

また、われらが極東アジアの小国日本も登場する。

おずおずと、近代世界史のまばゆさのなかに登場したばかりの日本は、イザベラ・バードが見た日本でもある。1878年来日して日本を旅した英人女性冒険家イザベラ・バード。『日本奥地紀行』で知られる。

描写は誤解と誤謬がおおいが、なに『東方見聞録』以来のことだ。今だって変わらない。

しかしなんと、けなげで可愛いげのある日本だろう。

ちなみに、本書発行1873年フランスは、パリ・コミューン壊滅から2年。
年号ばなしになるが、のちに最後の元老とよばれることになる、若き日の西園寺公望がパリに到着したのはそのパリ・コミューン宣言が出される前日。3月26日。

渡仏直前のころは普仏戦争講和前により、フランス定期船をつかった東回り航路は不定期だったので、西回りで西園寺公は出立した。フォッグ氏と同じき横浜からの西回りである。1870年。アメリカ西海岸まで太平洋を横断、大陸横断鉄道でニューヨーク。ワシントンでは時の大統領になっていたグラントと会見。翌1871年にニューヨークを出立してロンドン経由でパリに到着した。それがパリ・コミューン宣言が出された前日。3月26日。

列挙して書いていたらきりがないくらい、近代、が出てくる。読んでいると、歴史に知り合いを探しにゆくような楽しみもある。

交通手段は、船、鉄道はともかく象、帆走する橇、なんてものまである。解説によれば栗本鋤雲が、金ですべてを解決する、と評したらしいが宜われる。持ち物は金と時刻表さえあればいい。あんがい今でも変わらないが、経済のお化けだと思われていたイギリス人をヴェルヌが戯画化したものと見える。もちろん、ヒロインたるアウダ婦人を助けるのは紳士の心得、さまざまな困難にたちむかうのは紳士の勇気である。金と時刻表だけあっても人が旅に出るとはかぎらないのだ。

とはいえ、ビスマルクプロイセンと戦争しているさなかに、こんな小説を書いたのかと思うと、なんだか可笑しくてならないが、空想が、戦争のときにこそ羽ばたくのは今も昔も変わらないらしい。

それから、恐らく底本をもとにしたものだろうが、絵入り、である。
小説が字ばかりになったのは、いつからなのだろう。挿絵と文学、なんてテーマが頭をかすめるが、面倒なことは言いっこなしだ。一気呵成に読むがいい。そんな小説なのである。

 

以下、参考にした本。なんだかフォッグ氏のような駆け足だ。

 

 

 

ちなみに、ヴェルヌからフランス帝国主義を論じた本を一応紹介。

同書巻末には手に入りにくいヴェルヌの小説のあらすじが掲載されている。