誰かあの本を知らないか

読むことについて書かれた作文ブログ。

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栗本鋤雲『鉛筆紀聞』島崎藤村の作文の先生

タイトルに漢字がおおすぎる。しかし今回、作文も漢字がおおめだ。申し訳ない。

栗本鋤雲『鉛筆紀聞』。
くりもと・じょうん。えんぴつ・きぶん。と訓む。前回の作文で「栗本鋤雲」と引用して言い忘れた。藤村の、作文の先生である。

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鋤雲略歴

栗本鋤雲。*1文政5年(1822)江戸生。瑞見。瀬兵衛。号、匏菴(ほうあん)。鋤雲は別号でありながらこの名で知られる。

生まれは幕府医官喜多村槐園の第三子。安積艮斎(あさかごんさい)、佐藤一斎にまなび、昌平黌(しょうへいこう)に入る。

嘉永元年、栗本氏を継いで幕府奥詰め医になる。

しかし、嘉永5年、讒言に遭い、蝦夷にうつり北海道開拓事業に携わる。

このとき出会ったフランス人宣教師メルメ・カションからフランスの国情を知り、今回とりあげた『匏菴遺稿』のうち『鉛筆紀聞』を綴る。(発行は明治2年)

やがて函館奉行になり、樺太千島の巡検を行う。許され江戸に戻ると、昌平黌頭取になる。幕末の重要外交に携わるほか、軍艦奉行も務める。

慶応3年には徳川昭武随行して渡仏。このときかの地にて大政奉還を知る。

明治に入るも新政府への出仕を断り、郵便報知新聞社に入り、筆をふるう。

晩年70歳を越えていた鋤雲のもとを若き日の島崎藤村(22歳)が訪ね、斧鉞を乞うている。大作『夜明け前』に登場する喜多村瑞見は鋤雲を偲んだもの。

明治30年(1897)死去。76歳。

波乱の多い人生である。優れた才幹と意欲、見識を兼ねそなえているが故に時代に翻弄された。しかし、新政府に出仕しないのは、最後の武士としての意地*2である。近代日本の来し方と、その行く末を苦悶憂慮した藤村が、作中かつての先生に登場してもらった理由は、じゅうぶんあったのである。

『鉛筆紀聞』

せっかくなので、『鉛筆紀聞』を読んでみた。二段組みでわずか数頁。漢学漢文の時代は言語として成熟しているから、大分の内容も、簡略簡潔に書くのである。

『明治文學全集4』筑摩書房の解題によれば、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて書かれたものらしい。鋤雲が、フランス人宣教師カションに日本語を教え、それで聞き書きをなしたというから、今からすれば驚くほかない。

しかし、文明とはそういうものである。日本も、西欧文明にひれふす以前は、漢語を中心とした文明圏のれっきとした住人であった。文明どうしなら話は通じたろう。それ以降はしらない。どこかには住んでいるのだろうけれど……。

さて、本書は〈或問(わくもん)〉と呼ばれる形式で書かれている。ようはQ&Aだ。鋤雲が問い、カションが答えるようになっている。

以下、抜き書きだが、漢字仮名交じりの書き下し文は読みにくいので筆者が勝手に改めて見出しをつけた。内容によって順番は入れ替えた。かえって読みにくいのは筆者の責任である。なお一行一項目に対応している。「*」をつけた処は、カションの答えに当たる箇所。これは一部だけ記した。

【国制】

ナポレオン1世によって定められたフランスの郡県制。
身分制。
相続制。
フランスの名門閥
ナポレオン1世の英明の理由。

【租税】

農地租税の課税の基準。
同じく商業税。*窓の数に応じて課税されること。

【貿易】

貿易による物価高騰問題。
国内市場と流通の関係。
相互貿易国化による戦争回避の可能性*軍備なくば同盟国になりえず。

【軍事】

軍艦の財源。
軍艦乗組員の給与と雇用。
またその乗組員の専従化と維持の方途。
軍船の配備を急ぐために外国より購入すべきか。*自国にて製造のこと。

【国内法】

商人が刀剣や鉄砲を所持することはあるのか。
殺人窃盗等の犯罪に関する法律。*パリ郊外において無届の銃使用の禁止のこと。

【国の専売制】

煙草の政府専売に関すること。

【世界情勢、歴史】

一夫一妻制とその夫人の基準。*アンリ4世とサン・バルテルミーの大虐殺。
英国植民地におけるインドの大反乱について。*対馬の帰属の重要性。
西欧大国の人口。
ベルギー独立の顛末。
ナポレオン3世在位の帝政で皇帝が急死した場合、どうするのか。

【経済】
フランスの納税額。
フランスの国内通貨。
フランス・フランとドル交換の相場。
諸国における国内通貨の有無。

【文明】

ヨーロッパの学問の起源はひとつなのか否か。
フランスの度量衡。ナポレオンの整備とメートル法の採用。
電信機械とそれ発明前の情報伝達手段。
ちかごろフランスの盛事は何か。*クリミア戦争終結のパリ条約におけるロシア皇帝アレクサンドル2世へのもてなし。「テレガラフ」=「テレグラフ」を備えていてペテルブルグと通信できた。

内容が多岐にわたるいっぽうで、かなり正確に世界情勢を理解している。また、喫緊であった当時の日本の課題も出そろっている。

西欧の近代国家の輪郭がおぼろげに浮かぶし、また事前にえていた知識から、世界情勢の勘所を押さえた質問がなされている。にほんにきて、すきなたべものは、なんですか? なんて聞かないのである。

ナポレオン3世在位の帝政で皇帝が急死した場合、どうするのか?という質問にいたっては普仏戦争後のパリ・コミューンを予見するかのような、フランス第二帝政の脆弱さを見抜いている質問になる。

「鉛筆」と文体

漢和辞典を繰りながらずっと読んでいたくなるが、まず書名の「鉛筆」について。

鉛筆じたいは『漢書』にでてくるというから物自体は古いものだ。しかし、ここでの文房具は、漢語漢文を記した筆ではなく、ある種のモダンさを意味する「鉛筆」であろう。

そして、正規の漢語漢文を読み下すのではなく、文飾を削ぎ、内容を明晰に記し、さらに平明にした文体である。それは、若き藤村が斧鉞を乞うに足る、これもまたモダンさを持っていた。

この場合の「モダン」は、日本に押し寄せていた「モダン」=近代文明である。それを把握し、迎え撃つために研がれた剣、それよりも強い「鉛筆」ではなかったか。

こころみに少しだけ引用する。*3

問、西洋各国通商交易するものは、和親の国とす。苟(いやしく)も一旦同盟和親すれば又争闘衅隙(そうとうきんげき)を起すことなかるべし、如何。
答、通商貿易は固(もと)より同盟の与国なれば、又闘争の用意なくば有るべからず。其闘戦の用意あるは乃(すなわ)ち和親を固くする所以なり。日本の大なる大小の軍艦六百隻を有するに非ざれば恐くは真の通商和親は成し難からん。
※『明治文學全集4』筑摩書房『鉛筆紀聞』より引用

漢文世界、儒教世界の道理でいえば、「和親」を通じた国同士が戦争をすることはありえない。信義にもとるからだ。よって、鋤雲の疑問はもっともである。
しかしカションの答えは、同盟は軍事力あってのもので、それがなければ日本が望んでいる本当の「通商和親」はなしえないだろうというものであった。

文明の道理が異なるのである。のちに崩壊寸前の、幕府の外交・軍事にたずさわることになる鋤雲にとって、重要な見解になる。幕府のフランス派とよばれる小栗上野介を筆頭にした開明派が懸案にしたのが、幕府の軍事力増強であり、鋤雲じしんも海軍奉行として大いに力をふるうにいたる。

そして、この懸案は、新政府にも引き継がれ、それは日露戦争において一定の成果を見るわけだが、もてあました陸海軍のゆきついた果ては言うまでもないだろう。

それにしても過不足ない文章である。過ぎたるもなく及ばざるもない。かんたんに言えば、誤解しようのない文章とも言える。維新の志士たちがいたずらに用いた悲憤慷慨はもとよりなく、漢字の迫力で白を黒といいくるめる「忠實勇武ナル汝有衆ニ示ス」もない。

偉才といっていいその才幹を、幕府に殉じさせてしまったのはあまりに惜しいことながら、その生きた姿と明晰な文体は、藤村に受け継がれた。

栗本鋤雲。本名は、鯤(こん)、というらしい。

鯤は『荘子』逍遥遊篇*4の冒頭にでてくる想像上の魚。大魚である。

北の海に魚がいる。その名を鯤という。鯤の大きさは、幾千里ともしれない。鳥に化すると、その名を鵬、おおとり、という。鵬の背は、幾千里ともしれない。鵬が怒って飛び立てば、その翼は天の雲のように垂れる……。

『鉛筆紀聞』の署名は「栗本鯤化鵬」。立身出世と経済主義にそまった人間には理解できない、自負とユーモアのある著名である。

 

 

 

 

 

*1:遺漏あるが『増補改訂新潮日本文学辞典』新潮社による。Wikipediaの方が詳しいが真偽は不明。

*2:福沢諭吉「痩我慢の説」参考

*3:本文の片仮名を平仮名に改めた。また「、」「。」を補った。「」は「こと」に改め、旧かなはすべて新かなに直した。適宜濁点を補った。読みがなも筆者責任である。

*4:北冥有魚、其名為鯤。鯤之大、不知其幾千里也。化而為鳥、其名為鵬。鵬之背、不知其幾千里也。怒而飛、其翼若垂天之雲。『荘子』逍遥遊篇