村上春樹『タクシーに乗った男』移動の時代
久しぶりなので短いものを書く。
以前に村上春樹『タクシーに乗った男』をめぐって「共感とプラハの春」と題して書いた。書くには書いたが、タイトルにもある「タクシー」について回収していなかった。
今回はそんなはなしである。
明治26年10月30日「文學界」第10号に、北村透谷が「漫罵」という小文を寄せている。
研究史ではこれをめぐってさまざまな言及がある小文ではある。
ともあれ、内容は、東京の街を逍遥する透谷が、開化以降つぎつぎに流入してくる西洋の文物ともともとの江戸の文物が混在するありさまを批判的に叙述してゆく。曰く、
洋風あり、国風あり、或は半洋、或は局部に於て洋、或は全く洋風にして而して局部のみ国風を存するあり。*1
今となってみれば不思議もない、津々浦々に広がったごちゃごちゃの景観である。
透谷はこれが「今の時代に沈厳高調なる詩歌なきは之を以てにあらずや」と、本当の「詩歌」が生まれない理由を、応接のいとまもないほど押し寄せる「洋風」と、さりとてそれに抵抗はしないが押し流されるわけでもない「国風」の混在に見ている。
今の時代は物質的の革命によりてその精神を奪はれつゝあるなり。その革命は内部に於て相容れざる分子の撞突より来りしにあらず。外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず移動なり。人心自ら持重するところある能わず、知らず識らずこの移動の激浪に投じて、自ら殺さゞるもの稀なり。
維新にあったはずの「革命」の「精神」が「奪はれつゝ」あると分析する透谷は、今やただただ文物の「激浪」に翻弄されて「移動」うつろってゆくだけだと言う。
かんたんに言えば、文化の根なし草を批評した。
これは後年、漱石が「私の個人主義」という講演のなかで、せめて「自己本位」を確立するしかないではないかと、半ば諦念と苦い悔恨をもって述べたものに通ずるものである。
「外発的」「内発的」という言葉なら学校の副読本で読んだことがある向きも多いかもしれない。もちろん、前者はよろしくなくて、後者であるべきだという含意がある。
もちろん、これは〈知識人〉というものの苦悩である。文物であれ、文化であれ、それがどういったものなのか研究洞察した彼らからすれば、羽織袴に山高帽をかぶってステッキ、草履の姿が愚かしいと見えるだけである。「尻馬」が馬鹿らしいと見えるだけである。じつは問題はそこではなく、ごちゃごちゃ混在の景観のなかで、〈知識人〉だけが切り裂かれてしまうということだろう。正言も正論も、その意も役も果たさない。
むしろ、「尻馬に乗つて」流れ流れてゆく時流に沿わなければ、「生き埋め」になるしかない。中村光夫は「『移動』の時代」と云った。
明治12年にして既に成島柳北は「遊事ノ沿革」と題して記している。
然れども人情は日に奢靡(シャビ)に移り、往日の質素質朴なる風習は地を掃ひ、彼の霜晨(ソウシン)に筇(ツエ)を曳(ヒイ)て北郊の楓葉を賞し、月夜に飄(ヒョウ)を携て水西の梅花を訪ふ如き、雅致を好む人は全く無くなりて、歩は馬と変じ馬は舟と化し、舟は車に転じて其の趣きを問はず、唯だ其の便を図り、竟(ツヒ)に会主も賓客も歌妓の幇間(ホウカン)も皆急車を倩(ヤト)ひ、真一文字に駆け出でゝ、其の約する所の酒楼に赴き、高歌乱舞放飲流歠(リュウセツ)して而して已むに至れり、亦以て遊事の豹変するを観るに足る。*3
文明開化が、幕末以来渦巻いていた欲望のエネルギーを、〈天賦人権論〉から〈立身出世主義〉へと肯定したことは、夙に論じられているが、「ベルグソン」が言うように欲望は常に他人の欲望である。第三者によって喚起されたものしか人は欲望できない。
浅酌低吟を好んだ通人であった柳北には、文化の払底に映ったであろうが、誰のものでもない欲望を代謝させることで存続する資本主義を知らなかったわけではあるまい。江戸の文化に親しんだ柳北はその欲望を御することに美学を見出したが、田舎者の跳梁闊歩する、明治の東京にはその美学の居場所がなかっただけだ。
御されることも美学化されることもない欲望は、「皆急車を倩(ヤト)ひ、真一文字に駆け出でゝ」ゆく。
ながく〈知識人〉たちは、この苦悩を苦しみ悩むことが特権で栄耀であるとさえ思いみなした。しかし、知識も教養も持ち合わせの無い庶民、たとえば筆者のような者からすれば、そんな「苦悩」のほうが馬鹿馬鹿しい。
これに言及はおろか、さんざんに批判を加えたのは坂口安吾ばかりである。
ありもしない「国風」と「自己本位」に翻弄されることを嘲笑うかのように、『日本文化私論』の安吾は飄々と、「日本文化」をわたってゆく。「生活の必要」だけが信ずるに足る、というそれは思想である。文物や文化の偶像を破壊してゆく文体は小気味いい。
この軽々とした足取りは、「移動」でなにが悪い、という批判と言ってもよいだろう。
もともと回帰できる〈伝統〉など、どこにもありはしないのだ。
「移動」でなにが悪い、と書いたが、安吾は単純に欲望を肯定したのではない。さりとて、「苦悩」してみせたのでもない。ただ「移動」してゆくそのことを指摘して、取り出してみせたのだ。
男はタクシーという限定されたフォームの中に含まれている。タクシーは移動というその本来的な原則の中に含まれている。それは移動する。どこに行こうがどこに帰ろうが、どちらだっていいのだ。それは広大な壁に開いた暗い穴だ。それは入り口であり、出口である。*4
どこへでも行けるがどこへも行けない人間の様態はすでに近代のそのはじめから存在した。そういう定義づけしかできないのが近代的人間だとも言える。
柳北、透谷、漱石たちは、その空疎な有りようが、日本の特殊性にあると思っていたようだが、「タクシーに乗った男」はそれが世界資本主義というもののなかにおける普遍的存在であることを示唆している。
もちろん、普遍が良いことだなんて言っていない。そんな意味が含まれているように聞こえるかもしれないが、特殊から普遍へ道を拓いてなおも問題が問題のままであるとすれば、それはこの世の悲惨を意味するしかないだろう。
こんなことを考えながら「タクシーに乗った男」を再読してみると、また違ったことが書けそうな気もしてくるが、短く書くと冒頭で言ったように、ここまでにしておく。