ツヴァイク『人類の星の時間』まばゆさの近代
今となっては想像もつかないことかもしれない。
<近代>がきらびやかで、目も眩むほどまばゆく、洋々たる前途を望ませた時代が存在する。
コスモポリタニズムという言葉は、危うい足元を覗かせながらも、今だその前途に光明を指し示していた。
世紀末ウイーン。コスモポリタンとはツヴァイクのためにあるような呼称だ。近代への信頼がなければ「世界市民」は名乗れまい。
第一次大戦に挫折はあった。しかしこの挫折はツヴァイクを怯ませるどころかますます<近代>への傾倒を深めたように見受けられる。1927年、ドイツ語圏ではツヴァイクの最も有名な著作らしい。『人類の星の時間』。本書は書かれた。
私たちは、その後、第二次大戦の結果を見ることなくツヴァイクが自裁したことを知っている。知っている故、本書に描かれる<近代>の鮮烈なイメージ、希望と自信に満ちた筆致、選ばれたテーマを、読後振り返ることは痛ましい。
素朴な感想を白状すると、わくわくしたのである。
ジュール・ヴェルヌの一連の冒険小説を読むような心の躍動を感じながら読んだ。
盟友ロマン・ロランはもちろん、彼らが信じた<近代>はヒューマニズムで、今日のように、害悪の異名になっていないころの、純潔を守っていたころの話である。
このアンソロジーはまず、「不滅の中への逃亡」バスコ・ヌニュス・デ・バルボアによる「太平洋の発見」から始まる。
クリストファー・コロンブス(変な読み方だ)による新大陸発見から21年、マゼラン艦隊による世界一周に先立つこと9年。1513年に白人としてはじめて太平洋に至った男の話から始まる。その性、狡猾貪婪と言ったら気の毒だが、とても偉業をなすのに相応しい人格ではない。最期は、かつて部下であったピサロによって捕らえらることで終わる。そう思えば案外、人好きのする男だったのかもしれない。彼の役目は、人類のために太平洋を「見る」ことだったとすれば、ヘーゲルの「歴史の狡知」を想起する向きも多いだろう。
以下、勝手に見出し風に列記する。伝わる人にはこれでわかってもらえるはずだから。
ビザンティンの陥落。
ラ・マルセイエーズ作曲秘話。
ゲーテの老いの恋。
ズーターと新大陸のゴールドラッシュ。
ドストエフスキーの死の体験。
サイラス・フィールドによる大西洋横断電信ケーブル敷設。
トルストイの未完成戯曲。
スコット隊の南極探検。
そして最後に、レーニンの封印列車が配置されている。
ツヴァイクがヒューマニズムという<近代>を信じたように、レーニンも共産主義、マルクス・レーニン主義という<近代>を信じたのである。轟音をたててその未来へ疾走する列車を描いたところでこの物語は擱筆されている。
ちなみに、「人類の星の時間」とは邦訳にしてはちょっと座りの悪い日本語だ。訳者あとがきによれば「sternstunde(人類の星)」というツヴァイクの造語らしい。
<近代>の挫折のなかで、しかもそれが完全に潰えることを目の前にして、ありえたかもしれない未来という星に向かって書かれた、過去の歴史のお話である。