中上健次『中上健次発言集成』神さまの名前
著名な芸術家が、まだ神さまだった時代の発言集、対談集である。
日本と日本語の発生このかた、ずっと通底していたけれど、誰もそれに言葉を与えなかったため、存在しないとされてきたそれに言葉を与えたのが、彼である。素行や発言、風貌やまなざし、一挙手一投足がそのまま「文学」だと信じられ、消費されていた文壇の時代の、およそ最期のひとでもある。
また、途中で息継ぎもできないような、きわめて緊密な長編小説を書いた作家でもある。彼は小説家なのである。
若い頃は、大江健三郎みたいな文章を書いていた。それを気に病んでいたくらいには、聡明で繊細なこころの持ちぬしだった。
それから、ウイリアム・フォークナーを模倣した小説を書くようになった。
多重構造になっていて、他の作品が入り組みあっていて、時間軸が前後に揺れうごき、それは難解なところも多かったが、小説が小説じたいで読んでいることが面白いという稀有な作品、文学作品を書いた。ものすごく若かった筆者は、神さまを見るような思いで、その神さまを見ていた。圧倒、というなら、問答無用で圧倒されていた。理屈はない。
そのころには、彼はもはや、誰の真似でもない、比類のない文章と小説を書いていた。
文学作品、と筆者が言ったのは、文学がなんなのかを文学じたいが問うことを指す。そうでないからと言って、もちろんそこに優劣は、ぜんぜんない。彼は、熊野の野人のような無邪気さと、含羞に満ちた傍若無人さで、文学を信じていた。それだけのことだ。
しかし、こんにちで言う、そのキャラクターは時代にウケた。
彼はやがて、時代という気まぐれ者の、寵児になった。
小説家、評論家、音楽家、広義のアーティスト、その他、その時代特有のえたいのしれない様々な職業の者たちと対談したのが本書である。時代を「ニュー・アカ」と呼んだらしい。
それは高転びに転びやしないかと読者が案ずるくらいの人気であった。
とはいえ、彼に没落はなかった。
それより早く、肝臓癌がかれの命を奪ったからである。
享年46歳。
名前を書くのを忘れたが、中上健次のことだ。
神さまの名前である。