誰かあの本を知らないか

読むことについて書かれた作文ブログ。

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村上春樹『タクシーに乗った男』共感とプラハの春(2)

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村上春樹回転木馬のデッド・ヒート講談社(1985.10.15第一刷発行)


前回、なぞかけのような終わり方をした。じつは筆者もわからないで書いているからである。

dokusyonohito.hatenablog.com

本来ならば、彼女という画廊オーナーの語りとなるべき、その絵をめぐる描写を、なぜ「僕」が語るのか。それで三日悩んだ。もしかして既に書いたぶぶんが、そもそも間違っていたんじゃないかと疑った。

筆者がじぶんの勝手で投げた謎を、そのままにはできない。筆者は読者であり、読者にはとにもかくにも読む責任がある。

タイトルにあるように、一面では「プラハの春」が時代背景にある作品だ。年号とチェコ人画家がでてきて、そうではないとは、まさか言うまい。それで筆者も、これは村上春樹らしい自己韜晦だと早合点した。

小説は、かならず小説それそのものを読まなければならない。これは最低限のルールである。破れば応報がある。読者の不誠実は、必ず作家の誠実のまえに潰えるほかないという、いい例だ。

作家は自己韜晦したのではない。これ以上もないくらい明晰に書いたのだ。

歴史を物語ること

繰り返しになるが、チェコ人画家の「絵」は「僕」よって、<遠近法>のもんだいとして語られる。そしてそれは歴史のパースペクティブに敷衍される。そしてそこに「プラハの春」という歴史的出来事は、直接それと指呼されることがない。

これは韜晦ではなく、1968年という年号とチェコという単語によって、いとも簡単に呼び出されてしまう「プラハの春」という<歴史>への懐疑ではないか。

この<歴史>は、年表に行儀よさそう並んでいるそれである。本作初出は1984年2月、雑誌『IN-POCKET』と初出一覧にあるものだが、その間16年経過している。<歴史>の遠近法を信ずるなら、それはすでに世界史の後景に退いている。

時間がたてば、いつの間にか過ぎ去ってくれる<歴史>は安全である。その間、人類は目をそばめていればいい。うつむいて、あるいは狂騒に明け暮れて、その方法がなんであれ、時間をさえ稼げばよい。時は経ち、やがて安全な<歴史>ができあがる。それがどれほど安全とか言えば、反省したり、後世に残したり、<歴史>に学ぶことができるくらいには、危険がない。うっかり戦車にひき殺されたり、とくに意味もない同族相食む殺し合い(あえて戦争とは呼ばない)に巻き込まれることもない。

いっぽうでこの<歴史>はその安全性ゆえに、いともたやすく捏造できる。それを修正とよぶのか、洗練とよぶのか、筆者には興味のないことだ。

体験談は、それが当事者であればあるほど、バイアスがかかるのは日常で見知っているありふれた経験である。その体験が、日常茶飯か、奇妙な出来事か、酸鼻の戦争体験かは問わない。人間は、というより言葉は、事実を伝えることこそが極めて難しい。嘘ならいくらでも吐けるのである。<歴史>は願望が投影される。そして願望は内的合理性を整合する。過去は現在である。かくあれかしと願う現在の影である。

この<歴史>は、実に<創作的>な営みで、まことに常識的な、あたりまえの姿をして流通しているものだから、疑うことができない。もちろん、きっかけ、それを疑う契機は確かにあるはずなのだ。見給え。死んだ愛する者はもう二度と戻ってはこないではないか。

「僕」は、<歴史>を退けて、それでも歴史としか呼びようのない<それ>を、引き受けたのである。本来、画廊オーナーである彼女の語るべき<それ>を。もちろん、彼女のためにではない。物語と小説と歴史とが癒着して見分かたぬほどになった荒野の、細い径を往くためである。

<それ>を語ることは、既存の小説でも物語でもなされるわけにはいかない。小説的で物語的な<歴史>こそが「僕」の疑念、痛切な疑念であることはすでに述べた通りである。

<それ>はそれでも言葉を与えられなければならない。言葉がないところには、哀しみの影すらないからである。

本書序文で作者は「スケッチ」と言った。確かにこれは「スケッチ」だ。彼女が語りだすことで<歴史>に堕ちてしまう<それ>を、「スケッチ」という描写で書きとどめた。

なぜなら、<歴史>を信ずることはできないが、どうしても忘却できない悲しみの影の実存だけは疑うことができないからだ。1968年、チェコ・スロヴァキアの<歴史>を否定しても、揺曳する哀しみの影とその実存を、どうして否定することができようか。

sympathy

私が彼に抱いていた感情はいわばsympathyのようなものです。私の言うsympathyは同情でも共感でもなく、二人の人間がある種の哀しみをわかちあうことです。

おわかりになりますか?」

僕は黙って肯いた。

村上春樹回転木馬のデッド・ヒート』「タクシーに乗った男」より引用

彼女は絵について、その凡庸さについて語る。絵について語りながら、人生の凡庸さという、そのなかでもひときわ凡庸なそれについて語る。絵の男、タクシーに乗った男は、その中に永遠に閉じ込められてしまった。「永遠にです」と。

29歳になった彼女は、芸術家になれなかった芸術家になろうとしていた。青春と呼ばれるものは終わろうとしていて、失ったものの大きさと小ささとを「思いし」ろうとしていた。なんと凡庸なことだろう。

それは1971年のことであったという。ダボス会議、アポロ14号月面着陸、南ベトナム軍のラオス侵攻。いくらでも綴れるがやめておこう。歴史の気宇に比べるだろうか。宇宙の壮大にくらべて、とひとは言うだろうか。それらも十分すぎるほど凡庸なのである。彼女は絵を焼き捨てる。

焼き捨てたのはタクシーに乗った男であり、sympathyである。

この場合のsympathyは「二人の人間がある種の哀しみをわかちあうこと」とあるように、共感や同情ではなく、悔みや弔意のことだ。彼女は、「永遠」に閉じ込められた凡庸さという亡骸を焼いたのだ。

もちろん、この葬儀のごとき儀礼儀礼にすぎない。彼女はこの儀式めいた行為で自分の人生にターニング・ポイントを作るが、そんなわかりやすい転換点は<歴史>のなかにしかない。倒錯的に人間が<歴史>に見出すだけだ。そもそも人生はターニング・ポイントではできていない。言ったではないか。人生とは凡庸なのだ、そもそも。

後年、作中では「昨年」、彼女は「彼」に遭う。言うまでもなく「タクシーに乗った男」である。

思い出せないほどの長い時間がたって、彼女の中のその揺れが収まった時、彼女の中の何かが永遠に消えた。彼女はそれをはっきりと感じることができた。何かが終わったのだ。

※前掲書より引用

ほんとうに「終わった」のだろうか。それを自身でわかるのだろうか。はるか後年、あるいは死の間際に、気づくのだろうか。その哀惜と歓喜と後悔と廉恥とにまみれた何かを。しかし、そんなこと誰が知るであろう。

「『カロ・タクシージ』ーーよいご旅行を」

当然ながら、彼女は作品のなかで「僕」が引き受けた<歴史>を知らない。彼女はタクシーに乗ったり乗らなかったりしながら人生を続けるだろう。あんがい逞しいのだ。「人は何かを消し去ることはできないーー消え去るのを待つしかない」という教訓を述べる彼女に「僕」は何も答えない。「彼女の話はそこで終わった」のだ。

しかし、人知れず、「僕」は彼女のなにかを引き受けたのである。筆者が苦し紛れに「それ」と呼んだなにかを。ゆえに、「発表することができて、僕はすごくほっと」したのは、当然すぎる安堵であろう。ひとまずの、かりそめの、みせかけの、それでも安堵には違いない安堵。筆者だってとりあえず書き終えて、ほんとうに「ほっと」しているのである。今だけは。