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村上春樹『タクシーに乗った男』共感とプラハの春(1)

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村上春樹回転木馬のデッド・ヒート講談社(1985.10.15第一刷発行)

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プラハの春

「僕」は画廊をめぐって記事を書く、そんなライターの仕事をしているらしい。

とある取材先の画廊で、女性オーナーに「僕」は質問する。「あなたがこれまでに巡りあった中でいちばん衝撃的だったのはどんな絵ですか?」

彼女の答えが「タクシーに乗った男」。本作のタイトルである。

 

「僕」の質問はだれでも考えそうな問いだが、考えてみると難しい。「皮膚的な、生理的なショック」だと「僕」の説明する、芸術の「衝撃」とはなんだろう。当然、彼女はこの「衝撃」という言葉を回避して「芸術的感動」と言い換える。似ているようだが、この言い換えは、まるで違うことを指している。

後者の「芸術的感動」は、文化的伝統や教養、社会構造の文脈のなかでのみ成立しうる「感動」である。それに対し、前者の〈衝撃〉は後者の制度性を否定している。野生の叫び、みたいなもんだ。そんなものがありうるのか。彼女は「僕」の問いに「笑いながら」やんわりと批判し、質問そのものを変更する。

しかし、「僕」の問いは、〈芸術的感動〉をめぐっての或る問いを含んでいる。芸術が制度で、それによってのみ「感動」が決まるのなら、その情動は果たして「感動」と呼びうるのかどうか。ここで彼女は、再度、質問を変更する。「芸術的感動でもなく、皮膚的ショックでもない」「私の心に残っている一枚の絵について」と。

この絵は、彼女が画家志望者としてのじぶんに見切りをつけて、絵画の買い付けを始めた1968年ニューヨークでのこと。そこで出会った無名の亡命チェコ・スロバキアの画家から買ったものだ。

言うまでもないことだが、同年チェコ・スロヴァキアにおいて「プラハの春」が起きた。この無名の画家は、かの東欧から亡命してきたものだ。画家には才能と呼ばれる、他人に見出される何かはなかった。彼女は心の中でつぶやく。「プラハに留まっているべきだったわね」と。

彼女はその絵の「タクシーに乗った男」に「sympathy」を抱いたという。「同情でも共感」でもないそれ。日本語の「同情」や「共感」は、かんたんにいえば、一方的な他人への感情の憑依、という制度である。「sympathy」ではない。

しかし、プラハで起きた出来事は、チェコの民主改革がソ連によって軍事的に踏み潰され、それを世界じゅうの誰一人とて助けなかった出来事である。冷戦のグレート・ゲームのなかで、チェコは(それまでのチェコの歴史がそうであったように*1)誰にかえりみられることもなく、戦車に蹂躙された。

こう書くと、高潔なひとや正義感のつよいひとは「同情」し「共感」するかもしれない。筆者も憤った。しかし、「sympathy」はこの義憤や憐憫を意味しない。

冒頭で彼女が「芸術的感動」とよんだもののなかには、「同情」や「共感」も含まれている。作品に憑依し、疑似体験をするようにして「感動」するわけだ。しかも、その「感動」が「芸術的感動」そのものであるとさえ見なされている。こうした自動運動めいた「感動」は一方的で恣意的なもので、開閉栓をひねるような「感動」はまるで蛇口のようなものだ。

米ソの対立のなかで、それらの顔色を窺うことに汲々とした冷戦下、「感動」の蛇口はそっと閉められ、そのことについては皆口をつぐんだ。そしてその蛇口の開けしめは、個人の意志によってなされたのではない。冷戦というシステム上の自動運動であったとさえ言える。

くりかえすが、彼女は「プラハに留まっているべきだったわね」と心中につぶやく。

これは残酷で冷徹で、思いやりのない呟きだろうか。しかし、彼女はその絵には「sympathy」があったと語るではないか。

遠近法の歪み

絵についての描写にはこうある。

それはタクシーの後部座席に座った若い男の絵だった。カメラに即していうと、レンズがフロント・シートのまん中から心もちワイドに男の姿を捉えている。男は顔を横に向けて、窓の外に目をやっている。ハンサムな男だ。

村上春樹回転木馬のデッド・ヒート』「タクシーに乗った男」より引用

ここに語られているのは〈遠近法〉についてである。「カメラ」の「レンズ」に映るように、遠くのものは小さく、近くのものは大きく映るのが遠近法で、近代絵画史のなかで作られたひとつの技法にすぎない。中世絵画や、現代美術、こどもの絵を見たときに感じる違和感は遠近法に慣れて、そうでない見方を失っているからだ。

遠近法は見ている者が信じ込んでいるほどに、科学的でもなんでもない描写方法だ。遠近法という制度のなかで半ば抑圧的にはたらく錯覚である。それが錯覚である証拠に、見え方は「レンズ」を変えれば簡単に変わってしまう。じっさいにもし「カメラ」で「ワイドに」捉えられた男の姿は、画角のはしに行けば行くほど歪んでいただろう。

しかし、これは絵画、絵の話であるはずだ。そこは違和感がないていどに補正されていたに違いない。絵画という「芸術」によって、本来あるべき歪みは消去される。にもかかわらず、「僕」は絵画の説明をするのに、「カメラ」に喩えている。

これは絵画の説明でありながら、絵画の説明ではないのでないか。

近代史にあらわれた遠近法は、空間を描写するいっぽうで、時間認識にも応用された。進歩史観唯物論史観、ダーウィニズムなんと呼んでも良いが、過去の出来事が小さく、現在の出来事が大きく見える、これは歴史の遠近法である。

まして、時間経過のすべてを認識できる者がない以上、米ソ対立の世界が進歩しているか退化しているかなど誰に理解できよう。そして、画角の歪みは、チェコの民主改革という歪みを消去した。

タクシーに乗った男

「カメラ」のような遠近法で描かれた「タクシーに乗った男」の絵は、チェコ人画家の自画像である。そしてチェコ・スロバキアという国の自画像でもある。何に「飢え」ているかわからないそれは民主改革への〈期待〉だろうか。

ただ彼の中の飢えはあまりにも漠然とした形をとっているので、まわりから見るとーーあるいは彼自身の目から見てもーーそれは何かべつの、発展途上にあるある種の物の見えかた(ポイント・オブ・ヴュー)のように思えてしまうのだ。

※引用前掲書

「ある種の物の見えかた」と記されているように、この絵の説明は、どこまでいっても〈遠近法〉という近代の制度をめぐる、ものごとの「見えかた」をめぐる叙述なのである。チェコ・スロバキア自身の民主化要求という「飢え」は、「あまりにも漠然としたかたちをとっている」。そして、その「飢え」はほんとうに「飢え」なのか。〈民主主義国家〉という国家群の、現実のありようを「見」た上での「飢え」なのか。歴史的遠近法の、その「発展途上」にある「物の見えかた」にすぎないのではないか。

「僕」はそれを「青い霞のようだ」と言う。その、青空と同じ色をした霞みたいだと。

男はどこかに行こうとしているのか?

男はどこかに帰ろうとしているのか?

絵はそれについて何ひとつ語ってはいない。

※引用前掲書

「見えかた」に終始した叙述は、民族や歴史や国家やその目的、方向について語ることができない。絵の男がタクシーに乗っているように、人は民族や歴史や国家に「含まれて」いる。その「本来的な原則」にしたがって、「移動」するだけである。「どこ」へという目的や方向は「どこだっていい」と「僕」が言うとき、苛立ちがにじむ。それは「入口であり、出口である」。それは「入口」も「出口」もない、ということではないか。「我々はどこにも行けない」(本書序文)のである。

 

しかし、この絵の説明は、「僕」の語りの文である。彼女ではない。彼女の口を通して語られるという原則が破られている。何故であろう。読みながら、筆者もよくわからないので、つづきます。

 

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*1:石川達夫『マサリクとチェコの精神ーアイデンティティと自律性を求めて』成文社1995年。小説ならカレル・チャペック山椒魚戦争』岩波文庫2003年