誰かあの本を知らないか

読むことについて書かれた作文ブログ。

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金子光晴『人間の悲劇』SF小説から

SF小説が苦手である。嫌いではなく苦手。科学的な脳みそをどうやら備えていないらしい。筆者みずから、おのれの頭の悪さに呆れる、そんな作文である。

そんな中でも、再読はおろか幾たびも読み返しているのが、ダン・シモンズの『ハイペリオン』である。
ハイペリオン』『エンディミオン』『エンディミオンの覚醒』『ハイペリオンの没落』と、SF小説の世界ではふつうなのかもしれないが、よくまあ書いたと感心するほど長いながい小説である。

なかでも好んでいるのは初めの一冊になる『ハイペリオン』。某アニメに出てくるらししいが、その効果と意味はわかりかねる。

それはまあさておき、この作中登場するサイリーナスという煮ても焼いても食えない長命の詩人が、筆者、好きなのだ。マーティン・サイリーナス。
作中人物を誰かに比定するなんて、くだらない読み方かもしれない。作中人物に好感をもつなんて陋劣な読み方かもしれない。しかし、筆者は勝手に金子光晴だと思って読んで面白がっている。

めったに詩を読まない筆者だが、鮎川信夫金子光晴だけは折々読む。あと安東次男。読んだってわかりやしないのだが、もともと理詰めでわかるものでもないから、勝手に読む。声に出して読む。

耽美的な爛熟した詩から書き始め、つぎつぎと爬虫類が冬眠したり脱皮したりするように営々と詩業をつづけた金子光晴。人を食った諧謔を弄するかと思えば、同じひとに湿った重い重い土くれを呑ますようなことを歌う。日本と日本人が大嫌いな日本人で、解剖医のような執念でもって、情欲の心底を見極めるような女好き。マスコミへのサービスも怠らずマスコミをけむに巻き、詩壇からは扱いかねる面倒なじじいとしてあり、若くは詩はおろか人生まで叩き込んで恋愛と情欲と人間の浅ましさにあえいだ。

知らない読者のためにひとことで言うと、一万年くらい生きた詩人です。

いっぽうでフランス象徴派の詩ばかりでなく、西欧の詩学をみずから修めた詩人でもある。詩の理論。構成。構造。韻律。形式。その他。

また余人に秀でた紀行文も残している。長命で多産なのだ。それは詩情などという生ぬるいものではなく、外界を切り裂く刃物であり、風景の根っこにある人間を覗きこむ顕微鏡であり望遠鏡で、つぶさに見られた散文である。生半可な散文詩を蹴散らすような書きぶりである。

つぎつぎと歌い、書くことで自らを破産させ、また蘇生することを重ねながら、ぜんぜん悟達しないという不思議でもの凄まじい生き方をした。

そういう意味では、詩人でもなく芸術家でもなく、人間でしかなかった人間でもある。人間が人間でしかないなんてことが可能なのか、筆者にはわかりかねるが、そうとでも言っておくしかない。

すこし前に、類書を何冊か読んだが、いずれもこの煮ても焼いても食えない人間に巻き込まれた著者たちには、ちょっと同情した。

 

以下、書籍の紹介。

全集は措く。中央公論社から出ている。全15巻。なんという書体なのか、俳味のある身の痩せた書体で『金子光晴全集』。箱に黄金虫があしらってある。

 

参考書。

なお、金子光晴に近かった新谷行の『金子光晴論』は手に入らない模様。(20222.6現在)

 

 

服部撫松『東京新繁昌記』明治初年のベスト・セラー

明治初年のベストセラー

明治のはじめころ、福沢諭吉『西国事情』『世界国盡(くにづくし)』は、いわゆる洛陽の紙価を高からしめたというやつで、ひどく売れたらしい*1。『学問のすゝめ』はぺらぺらの雑誌であったらしいから、これを除く。

これに匹敵したのは服部撫松『東京新繁昌記』ばかりであったらしい。

売れに売れた。

1万部とも1万5千部とも言う。それっぽっちと思われるかもしれないが、まず人口が違う。そのころ列島の住人は3500人くらい。人口比になおせば3.5倍。それから出版事情、識字率も違う……。

なんだか昔の野球選手のストレートのはやさ、みたいな話になりそうなので、興味のある方は調べてみてください。さしあたって、とにかく売れたということだけ述べておく。

漢文のような漢文

読みやすさにおいては、めっぽう読みやすい。漢文書き下し文ではあるが、日本語漢文だから、漢文のような漢文、である。たとえば、

僕熟々*2(つらつら)方今の形勢を視るに、洋学に非ざれば、寧ろ学無からん。其の広大なるや五大州を併合し、全世界を一目し、天下の経済、全国の富強、政事と無く軍事と無く皆洋学に関せざる者無し。輓近(ちかごろ)建築の方法、衣服の制度、漸く洋風に遷り、茶店の少婦と雖も洋語を用ひ、絃妓の歌も亦洋語を挟む、亦愉快ならず乎。凡そ宇宙の間何物か洋学に帰せざる。

全編おおむねこの調子で、今読んでも分からないところは殆どない。難しい漢字もない。そして何よりも、内容としてむつかしいことを言っていない。まえにとりあげた柳北や鋤雲と比べれば歴然である。どっちに何が歴然かはともかく……。
それにしても「全世界」だの「天下」はたまた「宇宙の間」だなんて恥ずかしい。「方法」「制度」なんてのは今でも使う、言う。筆者もうっかり使う。何かを指して何も言っていない言葉の起源を見た気もする。

『東京新繁盛記』もくじ

ちなみに上の引用は同書の「学校」という始めの項目からの引用。

ちょっと読みにくくなるが、以下、各項目だけ抜き出してみる。

本書の内容を筆者が説明するより、その方が確かだ。

『東京新繁昌記』初編(1874)明治7年4月発行

学校、人力車 附馬車会社、新聞社、貸座舗 附吉原、写真、牛肉屋、西洋目鏡、招魂社

同二編(1874)明治7年6月発行

京橋煉化石 附 呉服店、奴茶店、待合茶店浄瑠璃温習(サラヒ) 附女師(ウタシショウ)、築地異人館 附売魚店、新劇場(シンシバイ) 新富坊守田座、常平社

同三編(1874)明治7年8月発行

新橋鉄道、増上寺 附 楊弓肆 驝駄師 水茶店、書肆 洋書舗、雑書店、万世橋 附住吉踊、弄珠師(シナタマツカヒ)、街頭演説(ツヂコウシヤク)、機捩(カラクリ)、新橋芸者

同四編(1874)明治7年10月発行

博覧会、臨時祭 附 開帳、夜肆(よみせ)、麥湯、西洋断髪舗

同五編(1874)明治7年12月発行

築地電信局(テリガラフ)、商会社 附 兜坊為換坐、蕃物店(カラモノタナ)、京鴉(けいあん)家 一名雇人請宿、妾宅、新温泉場 附 深川、新市街 附 帰商

同六編(1876)明治9年4月発行

芝金瓦斯(がす)会社 附 瓦斯燈、公園 上野、女学校、西洋料理店、代言会社

同七編

勧工場、夜会 附 嚥会*3天守教会、舩戸、消防隊、浅草橋、賃衣衾舗(そんりょうふとん)

成島柳北の『柳北新誌』二編(1874)明治7年刊行が、江戸の失われた文化、その変わってしまった文物を記すのに対し、服部撫松はその新奇を記す。次に述べるが、なにしろ失われた江戸など、撫松は知らない。

しかし、とうじの東京をほうふつとさせるのは『東京新繁昌記』であろう。勿論、その「ほうふつ」は、写真でうつしたようなリアリズムではない。漢文の修辞で文体におさめられたリアリズムである。

服部撫松略歴

天保12年(1841)陸奥国岩代二本松藩、儒官服部半十郎の子として生。服部誠一撫松。

明治4年(1872)、廃藩置県に伴って上京。

明治7年(1874)、『東京新繁昌記』刊行。この本の収益で、湯島の妻恋坂に「吸霞楼(きゅうかろう)」という大邸宅を建てる。また九春社を創立。漢文戯作雑誌「東京新誌」を発行。

明治16年(1883)「東京新誌」は毎号3、4000部を売るほどであったが、発禁の厄に遭い、廃刊。以降も多くの新聞・雑誌と関係をもつが、

明治29年(1896)仙台一中の作文教師に招かれ、東京の文壇を去る。仙台一中では、教え子のなかに吉野作造がいる。

明治41年(1908)死去。享年67歳。

売れた文体

『東京新繁昌記』は、平易な漢語漢文の言い回し、誰にでも分かる描写、いかにも開化らしいと誰もが認める対象の選択、それらによって成っている。

しかし、上京時、すでに撫松はおよそ30歳。たんに上京した若者が新風俗に感激して書いたわけではない。もちろん、上京の華やぎ、開化の謳歌はある。

そもそも、まえに取り上げた柳北や鋤雲とは異なり、旧幕府とその文化に未練がないことが大きいだろう。当然、旧幕府の大官をつとめ、それぞれ大儒碩学でもあった柳北や鋤雲とは、置かれた立場も教養もちがう。未練のなさは文体の軽妙闊達と通ずるところだが、軽薄にも見える。

しかし、この軽薄が、歴史の転換とよぶより断絶とよんだほうがいいような維新と開化を文体にとどめることができたのではないか。

孔子の道は士族の権と与に既に地に堕ち、廉価極って骨董屋(ドウグヤ)の長物(ヤッカイ)に属す。

こんなことが言えるとは、じしんの漢学儒学にも未練がないことを示している。あるいは客観できる程には大人とも言えそうだ。

「学校」からはじまる開化

そして、これは『東京新繁昌記』が売れたことにかかわってくるのだが、先に述べたように、本書は「学校」から筆をおこしている。

閉塞した幕藩体制が崩壊したことは、庶民にとってこの世の終わりではなく始まりであった。開化、啓蒙、いずれも「ひらく」「ひらける」という点にアクセントのある言葉である*4。そこに、庶民じしんの積極的な新しい知識や新しい書物への欲求がある。その欲求をかなえるために「学校」は欠かせない。

それは一面では『学問のすゝめ』のような功利的な側面がおおきいことは否めないにしても、じゅうぶんに知的欲求と呼んでさしつかえないものだった。

本書「学校」章は、全国の「学区」の区分から説き起こして「学校」の様子をえがき、「洋学」礼賛を唱える「洋学生」と反論する「漢学生」「国学生」とを登場させ、それぞれ論駁させる。結論はたまたま居合わせた「老客」が「我が国今日の開化は和漢洋の三役者を雇うて新狂言を開かんと欲するの秋(とき)也」とまとめる。都合のいいまとめかたの気がしないでもないが、方向性がまるでわからないまま意欲だけが溢れている、そんな描写になっている。

ひるがえって言えば、見たい聞きたい知りたいという欲求が庶民のなかにあふれ、そのうちの「読む」ことへの意欲にこたえたのが『東京新繁昌記』であったのではないか。

最後になるが、撫松の『東京新繁盛記』は、柳北の『柳橋新誌』に同じく、寺門静軒『江戸繁盛記』を模したものになる。

歴史の巡り合わせで、ずいぶん違った著作が生まれたことに不思議を思うのは、筆者ばかりではないだろう。

 

 

 

*1:以下、引用は筑摩書房『明治文學全集4』「成島柳北 服部撫松 栗本鋤雲集」を参考。引用は旧字、旧かなは読みやすさの便宜のため筆者改めた。

*2:原文はくの字点

*3:原文「嚥」は「⻞」に「燕」。恐らくは「嚥」のことかと。

*4:以下、前田愛『近代読者の誕生』岩波現代文庫を参考

誰かこの本を知らないか【5冊紹介】時代小説ほか

文学史をたどり直そうという、まあまあだいぶ無謀な試みをしているので、かならずしもそれに含まれない本も多い。

それで思い出したように消化しきれない本を紹介する。筆者の備忘録とも言う。

今回は時代小説、ほか。

司馬遼太郎国盗り物語

たぶん、司馬遼太郎の作品はおおかた読んだはずだ。ひどく面白いと思った頃があるのである。
こんにち的価値というなら恐らく『街道をゆく』かとは思う。
けれども、剣劇、忍者、時代小説から、歴史、のほうへ司馬遼太郎が向かってゆく画期はこの小説ではないか。近代日本を描くにつれて、〈司馬史観〉なる見当違いの批判を浴びるに至るわけだが(批判者は歴史と小説の区別がつかないらしい)道三から信長、光秀を繋げて「国盗り」を見出す叙述は、面白くて楽しい。徂徠の云った、古今の英雄を豆でもかじりながら批評批判する楽しみ、である。
司馬遼太郎の作品は、〈歴史小説〉ではなくて〈時代小説〉。その〈時代物〉を他の領域にも広げたことが功績で、本当の歴史だと思い込む向きを生んだのが罪つくりの罪かもしれない。

宮城谷昌光三国志

文藝春秋』雑誌連載当初、後漢楊震の「四知」から話がはじまったとき、筆者は不安になった。ずいぶん手前から始めたものだと思った。
そのうち単行本が刊行され、文庫本も発行された。もう『文藝春秋』を読まなくなっていた筆者は、つづきを文庫本で読んでみた。
まだ董卓が洛陽を焼き払っていた。
もう三巻である。
五巻でやっと官渡の戦い。八巻で英雄豪傑がつぎつぎと死没し、九巻で、出師の表。そして十巻「星落秋風五丈原」。やっと終わりかと思った。なにしろもう10年経っている。
ところが、ここからもう2巻続いた。読み終えればわかるが、なるほど英雄豪傑の活劇で知られた三国時代は蜀の滅亡と晋の成立までを描かなければ、足場のない空想みたいなものに堕してしまう。
そしてこの三国時代の終焉は、夏王桀から商の伊尹をえがいた『天空の船』以来書き続けた、漢字と漢語文明のひとつの終焉でもある。五胡十六国以降、大陸は騎馬遊牧民の有する地になるからだ……。
長い長い溜息をつくような、そんな読後感のある大作である。

吉村昭『天狗騒乱』

はたして時代小説に入れてよいものかどうか迷う。
歴史小説ではないか。
ともあれ、吉村昭の文体は、凄惨なできごとを淡々と描く。冷静である者のみが凄惨を見届けられるとでも言うように。
本書は言うまでもなく、幕末水戸藩の改革派天狗党の蜂起とその顛末を描いたもの。凄惨、という言い方をしたが、この蜂起の凄惨なるところは、これが歴史に何も産まなかったところだ。わが主と仰いだ一橋慶喜への嘆願は聞き届けられず、士分とは思われぬ扱いを受け、刑に処された。もちろん、天狗党が無意味に死んだように、天狗党も庶民に無用の死をたまわっている。
水戸学という学派につきまとう宿痾が、のちに大きな禍根を残すことを思えば、無意味どころが有害であったわけだが、有害に価値はない。

山本周五郎『楡ノ木は残った』

仙台伊達藩のいわゆる伊達騒動に取材した作品。
むかしは誰でも知っていた話だったが、きょうび原田甲斐と言ったってわからない。
もちろん、わからなくていいのである。
山本周五郎の他の作品どうよう、善人と悪人が、善人でも悪人でもなく、ただの人間でしかないことを描く作品。
また、戦後民主化の反動時代、逆コースの時代に書かれた作品でもあり、そのへんへの興趣が、この騒動に取材した作品をささえる背景にもなっている。

岩本憲児『「時代映画」の誕生』

時代小説ではないが、時代小説、時代映画の流行してゆく背景を詳述した一冊。
歴史小説と時代小説の定義の違いも、筆者はこの本で知った。
純文学だけ、大衆文学だけ見ていると見落としてしまう目配りのよさに著者の見識がうかがえる。
観客、見物、ファン、といった享受者の視点から論じているのは、文学者前田愛の一連の論文に通ずるものがある。作品の需要のされかた、についての本でもある。
「時代物」と呼ばれる物語世界が、「歴史」を侵食してしまうその起源をめぐるはなしにも読める。史実を連呼しながら物語世界でたわむれる現在のありようを再点検するためにも、読んでみても損はない。
時代小説を楽しむことと、歴史に向き合うことはほとんど別の営為であることを知るかもしれない。

 

 

 

 

 

ラガッシュ『狼と西洋文明』オオカミの社会史

前回の『鉛筆紀聞』でさらっと流して書いたが、

dokusyonohito.hatenablog.com

【国内法】

商人が刀剣や鉄砲を所持することはあるのか。
殺人窃盗等の犯罪に関する法律。*パリ郊外において無届の銃使用の禁止のこと。

原文*1は以下のようになる。

「私に刀剣鉄砲を携帯することを得たるや」

並びに

「我在国の日、官へ告げずして獣狩に出、邏官我を執(とら)へて償銀(=罰金)三十元を取れり。是は仏国「パリス(パリ)」」城外の近郊に獣猟を許す地あり。然れども平日、民人婦女、野果を採る為に其中に入て縦行するを許す故に、官人の其内に狩せんと欲するもの、預(あらか)じめ日を期して管に告げざれば、官より民を禁じて其日其内に濫入(=みだりに入る)せしめず。故に、人を誤銃するの災なし。今我其禁を知りながら犯せり。故に銀を出して其罪を償(つぐな)へり。」

『明治文學全集4』筑摩書房『鉛筆紀聞』より引用

これは突然言われてもちょっと分からない。無断で「郊外」で「銃」を使ってはいけないというなら尤もなような気もするが、もともと王政フランスが庶民に武器のたぐいを所持させなかったことが背景にある。もちろん栗本鋤雲の興味もそこにあったのであろう。庶民の武器所持と、国内治安の問題である。

狼害の歴史

 

人類史のなかで、近代史で失われたものの中に、〈狼害〉がある。日本だって、昔話には必ず登場する。ペローやグリムの童話でも同断。狼がいなくては始まらない。

しかし、これはその害が絶えなかったどころか、甚大であったことも意味している。

中世期をとおして慢性化した戦争は、狼の餌を増やした。餌があれば増えるのは道理。屍はもとより家畜、家禽、女性や子供、男も襲われた。

年代記作家ウラル・グラベールによれば、1030年から3年にわたったペストの大流行のときは狼が「非常に増え、攻撃的になった」ともいい、葬りきれないほどの死体を残したペストや飢饉もまたその増加の要因になった。これに加えて、狼由来の狂犬病もまた猛威を振るった。かつては死に至る病であったから……。

類例は本書でみていただくのが良いから引用はしない。一例だけ引くと、1796年、ときはもはや共和制に移行していたが、この年で5351頭、翌年1797年には6487頭の狼が狩られたという。それ以前は言うにや及ぶ。

それどころか、ナポレオン帝政に移行すると、ヨーロッパ全土が戦場になり、被害は倍加したという。

狼はけしてファンタジーの生き物ではなかったことを示している。そしてフランス王政下にあっては、この狼害をむしろ助長する権利、制度があった。

狩猟権

本書によれば、フランスの狩猟権は、ヴァロア朝、シャルル6世(1380-1422)あたりにまで遡るらしい。ようは狩りをする権利なのだが、これは王侯貴族の、特権のひとつに数えられていた。

筆者いつもの大雑把でいうと、フランス史絶対王政への必然につながる歴史としてみるなら、王と貴族・聖職者との支配強化と権利獲得。この二本のあざなえる縄がフランス史、ということになる。

シャルル6世の治世下において聖職者貴族は狩猟の権利を得るいっぽうで、ルイ11世は王権の独占にしようと試みた。

1516年、フランソワ1世(1494-1547)は「王国の貴族でも特権階級でもない者」に狩猟を禁じ、アンリ4世(1553-1610)は違反を企てた者への罰金、むち打ち刑を定め、初犯者には追放刑、再犯者にはガレー船を漕ぐ漕役刑、それでも密猟を重ねた者には死刑、とした。

その罰、苛酷である。

フランソワ1世の出した禁令は、「森林水資源局」を通して出されたもので、近代的な工業化以前の世界では、資源それ自体が資産であるから、その保護という側面もある。けれども、王侯貴族の狩猟と、平民庶民のそれは意味がことなる。趣味と生活のちがいである。

とうぜん増え続ける鳥獣の害に、シャルル9世は王国すべての農民にむけて、「鹿やイノシシを見かけたら、石を投げたり、叫び声を上げたりして耕作地から追い出す」ことの「許可」を与えた。

なんということだろう。「鹿やイノシシ」は狩猟の対象だから、「傷つけてはいけない」ということらしい。

なお、フランス革命における1789年の第三部会で、地方議会が起草した陳情で多かったのは、この狩猟権の廃止であったというから、それまでは王侯貴族と害獣がもたらす被害に、フランスの農民はなすすべがないまま数百年を過ごしたことになる。

狼狩猟官

いっぽう、害獣のなかでも狼は別で、王侯貴族の狩猟対象になるでなし、害しかもたらさないということで、狼狩猟官なる職位が存在した。

農作物への被害よりはるかに直接的な被害をもたらしたのが狼だから、これを独占的に駆除する役目を負うたのが狼狩猟官だ。地方からの陳情を受けて、王が命令するかたちで執行されるのだが、その陳情を行った地方の住人は、狩猟の期間、一軒につき一人、無償動員された。不参加は罰金が科せられた。

狩猟の権利を独占的に行使するこの職位は、職権乱用、賄賂の強制、地方地域への寄生を生み、本書のたとえを借りれば、「狼狩猟官を選ぶか、狼を選ぶか」は「コレラを選ぶかペストを選ぶか」と同じようなものだったという。

特権の廃止

これほど被害が出ているにも関わらず、住人自ら駆除にあたらなかったのかと言えば、言わずもがな。庶民に武器を持たせない、その所持を許さない、という統治上の要求であろう。じっさい、フランス革命は、庶民がバスティーユへ武器を確保しにいくところから始まったのだから、存外、杞憂でもなかったとも言える。

1789年、大革命とともに立件議会が、あらゆる狩猟の特権を廃止したことで、フォンテーヌブローやコンピィエーニュの「王の狩り場」には数百人の、多くの農民が入り、狩猟を楽しんだ。

これも、翌年1970年には、農業への支障、田園環境の近郊に障害をきたすというので一定の制限がかかる。

とはいえ、フランス革命以降、許可さえあれば狩猟の権利を誰もが行使できるようになった。

大革命以後

1803年には誰でも税金をおさめれば狩猟が認められる法が定められ、狼狩猟官は幾多の変遷をとげながら、事実上名誉職となる。そのいっぽうで、帝政、共和制、と移ろってゆく政権は奨励金を出し、狼駆除に当たる。

今や誰もが、原則的には、狼を狩ることができるようになり、その駆除は〈順調〉にすすんでゆく。

狼による最後の犠牲者は、1918年10月、オート=ヴィエンヌ県のシャリュで殺されたひとりの老婆。そして1986年、記録上では最後となる狼がアリエージュ県で殺された。

「我在国の日、官へ告げずして獣狩に出……」

こうしてみると、栗本鋤雲がカションから聞いた「我在国の日、官へ告げずして獣狩に出……」の一文の意味がわかる。

鋤雲は、民間の武器所持、という当時の幕藩体制における問題意識から問うたのに対し、カションは一言では言い切れない歴史を、ユーモアを交えて語ったわけだ。

とはいえ、鋤雲も、何やら解釈しきれないにも関わらず、カションの言葉のうらに何かを感じ取ったのかもしれない。『鉛筆紀聞』の他のぶぶんと異なって、咀嚼解釈したことではなく、そのまま書いたような書きぶりになっている。

まさかカションだって、極東の果てで、シャルル6世から説明するわけにもゆかなかったろう。

『狼と西洋文明』

本書は訳者によれば、クロード=カトリーヌ・ラガッシュ、ジル・ラガッシュ夫妻の共著。原題どおりなら『フランスの狼』。邦題『狼と西洋文明』。著者はそれぞれ文学者と歴史家なので、言われてみればなるほど、それぞれの視点がはいっている。
おおかまに言うと、

【前半】神話や伝説にみられる狼の意味、象徴、物語における機能を論じる。

【後半】社会史における狼とその狩猟をめぐる歴史を述べる。

というちょっと異色の構成である。もちろん、あたまから順に読んでいくと文学的な見方をもちつつ、歴史的な見方ができ、読了すると歴史から文学をぎゃくに照らし返せるようになっている。

1989年9月10日初版第一刷発行。八坂書店。訳者高橋正男。

「異色」とはこの本にとって、立派な誉め言葉なのである。

 

 

 

 

*1:本文の片仮名を平仮名に改めた。また「、」「。」を補った。「ヿ」は「こと」に改め、旧かなはすべて新かなに直した。適宜濁点を補った。読みがな並びに、「=」で示した註も筆者責任である。

栗本鋤雲『鉛筆紀聞』島崎藤村の作文の先生

タイトルに漢字がおおすぎる。しかし今回、作文も漢字がおおめだ。申し訳ない。

栗本鋤雲『鉛筆紀聞』。
くりもと・じょうん。えんぴつ・きぶん。と訓む。前回の作文で「栗本鋤雲」と引用して言い忘れた。藤村の、作文の先生である。

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鋤雲略歴

栗本鋤雲。*1文政5年(1822)江戸生。瑞見。瀬兵衛。号、匏菴(ほうあん)。鋤雲は別号でありながらこの名で知られる。

生まれは幕府医官喜多村槐園の第三子。安積艮斎(あさかごんさい)、佐藤一斎にまなび、昌平黌(しょうへいこう)に入る。

嘉永元年、栗本氏を継いで幕府奥詰め医になる。

しかし、嘉永5年、讒言に遭い、蝦夷にうつり北海道開拓事業に携わる。

このとき出会ったフランス人宣教師メルメ・カションからフランスの国情を知り、今回とりあげた『匏菴遺稿』のうち『鉛筆紀聞』を綴る。(発行は明治2年)

やがて函館奉行になり、樺太千島の巡検を行う。許され江戸に戻ると、昌平黌頭取になる。幕末の重要外交に携わるほか、軍艦奉行も務める。

慶応3年には徳川昭武随行して渡仏。このときかの地にて大政奉還を知る。

明治に入るも新政府への出仕を断り、郵便報知新聞社に入り、筆をふるう。

晩年70歳を越えていた鋤雲のもとを若き日の島崎藤村(22歳)が訪ね、斧鉞を乞うている。大作『夜明け前』に登場する喜多村瑞見は鋤雲を偲んだもの。

明治30年(1897)死去。76歳。

波乱の多い人生である。優れた才幹と意欲、見識を兼ねそなえているが故に時代に翻弄された。しかし、新政府に出仕しないのは、最後の武士としての意地*2である。近代日本の来し方と、その行く末を苦悶憂慮した藤村が、作中かつての先生に登場してもらった理由は、じゅうぶんあったのである。

『鉛筆紀聞』

せっかくなので、『鉛筆紀聞』を読んでみた。二段組みでわずか数頁。漢学漢文の時代は言語として成熟しているから、大分の内容も、簡略簡潔に書くのである。

『明治文學全集4』筑摩書房の解題によれば、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて書かれたものらしい。鋤雲が、フランス人宣教師カションに日本語を教え、それで聞き書きをなしたというから、今からすれば驚くほかない。

しかし、文明とはそういうものである。日本も、西欧文明にひれふす以前は、漢語を中心とした文明圏のれっきとした住人であった。文明どうしなら話は通じたろう。それ以降はしらない。どこかには住んでいるのだろうけれど……。

さて、本書は〈或問(わくもん)〉と呼ばれる形式で書かれている。ようはQ&Aだ。鋤雲が問い、カションが答えるようになっている。

以下、抜き書きだが、漢字仮名交じりの書き下し文は読みにくいので筆者が勝手に改めて見出しをつけた。内容によって順番は入れ替えた。かえって読みにくいのは筆者の責任である。なお一行一項目に対応している。「*」をつけた処は、カションの答えに当たる箇所。これは一部だけ記した。

【国制】

ナポレオン1世によって定められたフランスの郡県制。
身分制。
相続制。
フランスの名門閥
ナポレオン1世の英明の理由。

【租税】

農地租税の課税の基準。
同じく商業税。*窓の数に応じて課税されること。

【貿易】

貿易による物価高騰問題。
国内市場と流通の関係。
相互貿易国化による戦争回避の可能性*軍備なくば同盟国になりえず。

【軍事】

軍艦の財源。
軍艦乗組員の給与と雇用。
またその乗組員の専従化と維持の方途。
軍船の配備を急ぐために外国より購入すべきか。*自国にて製造のこと。

【国内法】

商人が刀剣や鉄砲を所持することはあるのか。
殺人窃盗等の犯罪に関する法律。*パリ郊外において無届の銃使用の禁止のこと。

【国の専売制】

煙草の政府専売に関すること。

【世界情勢、歴史】

一夫一妻制とその夫人の基準。*アンリ4世とサン・バルテルミーの大虐殺。
英国植民地におけるインドの大反乱について。*対馬の帰属の重要性。
西欧大国の人口。
ベルギー独立の顛末。
ナポレオン3世在位の帝政で皇帝が急死した場合、どうするのか。

【経済】
フランスの納税額。
フランスの国内通貨。
フランス・フランとドル交換の相場。
諸国における国内通貨の有無。

【文明】

ヨーロッパの学問の起源はひとつなのか否か。
フランスの度量衡。ナポレオンの整備とメートル法の採用。
電信機械とそれ発明前の情報伝達手段。
ちかごろフランスの盛事は何か。*クリミア戦争終結のパリ条約におけるロシア皇帝アレクサンドル2世へのもてなし。「テレガラフ」=「テレグラフ」を備えていてペテルブルグと通信できた。

内容が多岐にわたるいっぽうで、かなり正確に世界情勢を理解している。また、喫緊であった当時の日本の課題も出そろっている。

西欧の近代国家の輪郭がおぼろげに浮かぶし、また事前にえていた知識から、世界情勢の勘所を押さえた質問がなされている。にほんにきて、すきなたべものは、なんですか? なんて聞かないのである。

ナポレオン3世在位の帝政で皇帝が急死した場合、どうするのか?という質問にいたっては普仏戦争後のパリ・コミューンを予見するかのような、フランス第二帝政の脆弱さを見抜いている質問になる。

「鉛筆」と文体

漢和辞典を繰りながらずっと読んでいたくなるが、まず書名の「鉛筆」について。

鉛筆じたいは『漢書』にでてくるというから物自体は古いものだ。しかし、ここでの文房具は、漢語漢文を記した筆ではなく、ある種のモダンさを意味する「鉛筆」であろう。

そして、正規の漢語漢文を読み下すのではなく、文飾を削ぎ、内容を明晰に記し、さらに平明にした文体である。それは、若き藤村が斧鉞を乞うに足る、これもまたモダンさを持っていた。

この場合の「モダン」は、日本に押し寄せていた「モダン」=近代文明である。それを把握し、迎え撃つために研がれた剣、それよりも強い「鉛筆」ではなかったか。

こころみに少しだけ引用する。*3

問、西洋各国通商交易するものは、和親の国とす。苟(いやしく)も一旦同盟和親すれば又争闘衅隙(そうとうきんげき)を起すことなかるべし、如何。
答、通商貿易は固(もと)より同盟の与国なれば、又闘争の用意なくば有るべからず。其闘戦の用意あるは乃(すなわ)ち和親を固くする所以なり。日本の大なる大小の軍艦六百隻を有するに非ざれば恐くは真の通商和親は成し難からん。
※『明治文學全集4』筑摩書房『鉛筆紀聞』より引用

漢文世界、儒教世界の道理でいえば、「和親」を通じた国同士が戦争をすることはありえない。信義にもとるからだ。よって、鋤雲の疑問はもっともである。
しかしカションの答えは、同盟は軍事力あってのもので、それがなければ日本が望んでいる本当の「通商和親」はなしえないだろうというものであった。

文明の道理が異なるのである。のちに崩壊寸前の、幕府の外交・軍事にたずさわることになる鋤雲にとって、重要な見解になる。幕府のフランス派とよばれる小栗上野介を筆頭にした開明派が懸案にしたのが、幕府の軍事力増強であり、鋤雲じしんも海軍奉行として大いに力をふるうにいたる。

そして、この懸案は、新政府にも引き継がれ、それは日露戦争において一定の成果を見るわけだが、もてあました陸海軍のゆきついた果ては言うまでもないだろう。

それにしても過不足ない文章である。過ぎたるもなく及ばざるもない。かんたんに言えば、誤解しようのない文章とも言える。維新の志士たちがいたずらに用いた悲憤慷慨はもとよりなく、漢字の迫力で白を黒といいくるめる「忠實勇武ナル汝有衆ニ示ス」もない。

偉才といっていいその才幹を、幕府に殉じさせてしまったのはあまりに惜しいことながら、その生きた姿と明晰な文体は、藤村に受け継がれた。

栗本鋤雲。本名は、鯤(こん)、というらしい。

鯤は『荘子』逍遥遊篇*4の冒頭にでてくる想像上の魚。大魚である。

北の海に魚がいる。その名を鯤という。鯤の大きさは、幾千里ともしれない。鳥に化すると、その名を鵬、おおとり、という。鵬の背は、幾千里ともしれない。鵬が怒って飛び立てば、その翼は天の雲のように垂れる……。

『鉛筆紀聞』の署名は「栗本鯤化鵬」。立身出世と経済主義にそまった人間には理解できない、自負とユーモアのある著名である。

 

 

 

 

 

*1:遺漏あるが『増補改訂新潮日本文学辞典』新潮社による。Wikipediaの方が詳しいが真偽は不明。

*2:福沢諭吉「痩我慢の説」参考

*3:本文の片仮名を平仮名に改めた。また「、」「。」を補った。「」は「こと」に改め、旧かなはすべて新かなに直した。適宜濁点を補った。読みがなも筆者責任である。

*4:北冥有魚、其名為鯤。鯤之大、不知其幾千里也。化而為鳥、其名為鵬。鵬之背、不知其幾千里也。怒而飛、其翼若垂天之雲。『荘子』逍遥遊篇

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運営者:読書の人

ヴェルヌ『八十日間世界一周』時間の旅行

一気呵成に読むがいい。そんな小説である。
科学小説の祖で、児童文学の傑作。世界じゅうでどれほどの人がそれぞれの言語で読んだか知れない古典的名作。
いっぽうで、フランス植民地主義帝国主義の思想が反映していて、資本主義経済観念の、権化、のようにも言われる。
今なら、インテリが手ぐすねひいて待ち構えている処にみすみす飛び込んでいくような、そんな脇の甘さが魅力でもある。彼ら文句を言わないと立つ瀬がないから仕方ないが、あんまり意地悪をいうものではない。

岩波文庫の解説には訳者みずからの、丁寧な解説がついている。これによれば、1860年エドゥアール・シャルトンによる版画入り雑誌『世界一周』が下敷きになっているらしい。影響、参考、なかば剽窃とされるようだが、作品に仕上げたのはヴェルヌである。
おっちょこちょいで、早とちりで、軽薄なところもヴェルヌの良さだったりするから一概には言えない。

泥棒でも英雄でも嘘つきでも正直者でも、なんでもいい。面白ければ何でもいいなんて、作者ばかりじゃない。読者もおなじだ。泥棒であり英雄であり嘘つきであり正直者なのだ。いつでも本は罪作りなのである。

扉見返しに1873年とある。フランス語は筆者読めないから、わかるのは年号だけである。1869年にはレセップスによるスエズ運河開通にさいしてトーマス・クックが開通式参加ツアーを組んでいるくらいだから、フィリアス・フォッグ氏による世界旅行は荒唐無稽にもみえるが、まるきしの空想でもない。むしろ、空想を飛躍させる土台のほうが興味ぶかい。だいいち、無から生まれた空想なんて誰もついていけやしない。想像力はちょっとだけ飛び立つものだ。

パスパルトゥーを伴った冒険があわや破滅に追い込まれる結末で、ひっくりかえるのはご存じのとおり。自転する地球と旅するフォッグ氏一行。世界一周という空間の旅だと思って読んでいくと、実は時間をめぐる旅でもあったと種明かしされるのが、この作品の工夫である。

また、われらが極東アジアの小国日本も登場する。

おずおずと、近代世界史のまばゆさのなかに登場したばかりの日本は、イザベラ・バードが見た日本でもある。1878年来日して日本を旅した英人女性冒険家イザベラ・バード。『日本奥地紀行』で知られる。

描写は誤解と誤謬がおおいが、なに『東方見聞録』以来のことだ。今だって変わらない。

しかしなんと、けなげで可愛いげのある日本だろう。

ちなみに、本書発行1873年フランスは、パリ・コミューン壊滅から2年。
年号ばなしになるが、のちに最後の元老とよばれることになる、若き日の西園寺公望がパリに到着したのはそのパリ・コミューン宣言が出される前日。3月26日。

渡仏直前のころは普仏戦争講和前により、フランス定期船をつかった東回り航路は不定期だったので、西回りで西園寺公は出立した。フォッグ氏と同じき横浜からの西回りである。1870年。アメリカ西海岸まで太平洋を横断、大陸横断鉄道でニューヨーク。ワシントンでは時の大統領になっていたグラントと会見。翌1871年にニューヨークを出立してロンドン経由でパリに到着した。それがパリ・コミューン宣言が出された前日。3月26日。

列挙して書いていたらきりがないくらい、近代、が出てくる。読んでいると、歴史に知り合いを探しにゆくような楽しみもある。

交通手段は、船、鉄道はともかく象、帆走する橇、なんてものまである。解説によれば栗本鋤雲が、金ですべてを解決する、と評したらしいが宜われる。持ち物は金と時刻表さえあればいい。あんがい今でも変わらないが、経済のお化けだと思われていたイギリス人をヴェルヌが戯画化したものと見える。もちろん、ヒロインたるアウダ婦人を助けるのは紳士の心得、さまざまな困難にたちむかうのは紳士の勇気である。金と時刻表だけあっても人が旅に出るとはかぎらないのだ。

とはいえ、ビスマルクプロイセンと戦争しているさなかに、こんな小説を書いたのかと思うと、なんだか可笑しくてならないが、空想が、戦争のときにこそ羽ばたくのは今も昔も変わらないらしい。

それから、恐らく底本をもとにしたものだろうが、絵入り、である。
小説が字ばかりになったのは、いつからなのだろう。挿絵と文学、なんてテーマが頭をかすめるが、面倒なことは言いっこなしだ。一気呵成に読むがいい。そんな小説なのである。

 

以下、参考にした本。なんだかフォッグ氏のような駆け足だ。

 

 

 

ちなみに、ヴェルヌからフランス帝国主義を論じた本を一応紹介。

同書巻末には手に入りにくいヴェルヌの小説のあらすじが掲載されている。

 

誰かこの本を知らないか【5冊紹介】

プロレタリア文学とか言っていると、じぶんが何時代のにんげんか怪しくなってくるので、今回はちょっと違うことを書く。

毎日、小説の胡乱な感想を書いているから、筆者が小説好き、下手のもの好きだと思われるかもしれないが、そうでもない。前にもいったが便法、行きがかり上である。そしてみずから呆れている。

それで近頃読んだ本のなかから、いくたりかを紹介する。ブログらしくていいではないか。筆者、ちょっと自慢気である。

森本あんり『不寛容論』新潮選書(2020.12.15発行)

副題「アメリカが生んだ『共存』の哲学」。筆者は『反知性主義』以来、愛読している。著者はアメリカのキリスト教における政治史・宗教史・思想史の研究者。
新大陸にわたったピューリタンが形成した「契約」概念から、どのように「寛容」が生まれたかをたどった本である。新大陸植民地における、ロジャー・ウィリアムズとジョン・コトンという二人の人物を登場させ、この両者の対話をとおして、本書のテーマが浮かび上がる。
ちなみに、ロジャー・ウィリアムズは、時代が閉塞していないときに現れる奇妙人のひとりだろう。面白くて、気の毒で、偉人。でも奇妙。
抽象的な「寛容」ということばをめぐる、議論と論争をちょっと冷静に眺められるようになるのではないか。みんな見えない敵と戦いすぎだ。

北村紗衣『批評の教室』ちくま新書(2021.9.10発行)

副題「チョウのように読み、ハチのように書く」。才媛の登場、である。学部学生に批評、レポート、論文の書き方を説明するように、ぴしゃりと書くいっぽうで、めんどうくさいおじさんに嫌われないようにも書いてある。もちろん、ぴしゃり、はおじさんを叩いているのだが、そこは巧みである。理屈っぽいとじぶんでは思っている非論理的な中年男性こそ、本書そのターゲットである。もちろん、お客ではなく、敵として。
筆者もたたかれまくって、呆然としたが、このようなブログを書くきっかけになった。
もちろん、その教え、は守れていないわけだが、座右において読み直して、後悔したり、反省したり、赤面したりしている。

河内春人『倭の五王中公新書(2018.1.25発行)

副題「王位継承と五世紀の東アジア」。古代アジア史。讃、珍、済、興、武、と呼ばれる古代の大王、おおきみ、たちを史上の天皇に比定させる研究は昔からあるが、これを記紀および漢語文献ばかりでなく、東アジアの歴史情勢から俯瞰した本。その視野は広い。一国史のわくぐみと、ナショナリスティックな思考の罠をかいくぐる論述は鮮やかである。
いっぽうで、古代日本語が、書記言語に変遷してゆくありさまもたどれる。

藤岡換太郎『フォッサマグナ』(2018.8.20発行)

副題「日本列島を分断する巨大地溝の正体」。日ごろまるで気にしていないが、指摘されると謎が謎を生むのが科学の読み本である。また、筆者のように、わけのわからないことを言い出す人間はたまに整理された科学のはなしを聞くと、いくらかは正気に戻る。
フォッサマグナ」とは副題のとおり。プレートテクトニクス論以降、急激に進歩発展する地球地学のおさらいもできる。糸魚川にあるフォッサマグナミュージアムは筆者が行ってみたいと思いながら、いまなお果たせていない場所である。

八木雄二『神を哲学した中世』新潮選書(2012.10.25発行)

副題に「ヨーロッパ精神の源流」とある。哲学書は相応の勉強、教育をうけないと原理的に読めないことになっている。だしぬけに、スズメが庭に降りたつようには読めないのである。しかし、やみがたきは好奇心。なんとか分かりそうな本はないかと探してみつけた。
哲学書哲学史古代ギリシアから始めるのが相場で、これが混乱のタネだ。ちょっと遠すぎる。読みかけてほうりだしたギリシア哲学の入門書が、何冊も眠っている。
それで筆者、見当のつけかたを変えた。
近現代はじしんたちの生きている世界だから、わかるようでわからない。古代は離れすぎて、なおわからない。近代が親で、古代がとおい先祖なら、祖父母にあたる中世なら何かを示してくれるのではないか。
本書は中世のあけぼのを記して、キリスト教とその神学をめぐる哲学を要領よく説明してくれる。そのいっぽうで〈考える練習〉を示唆する。哲学とは学説を覚えることではなく、脳みそをつかって考える修練のことだという考えからだろう。
それではこの一書を読破してトマス・アクィナスが読めるかというと、それはもちろん別のはなし、別の努力である。

甘いようで甘くないのが、人生ダ。