村上春樹『風の歌を聴け』転向をめぐって②
前回の記事を書き直したが、どうもわかりにくい。だしぬけに〈転向〉と書いたのがいけなかった。
このブログは行きがかり上、村上春樹の作品を少しばかり取り上げている。あんまり人に読まれないのも情けないから、せめて人の読んだことある作品を取り上げようというくらいのつもりである。
すでに書いたが、今現在、筆者は、村上春樹という作家について思い入れは特にない。読書をはじめた出発点にあることは確かだが、記念碑のようになっている。まさか、苔は生えていないだろうけれど、古いはなしに属する。
今回のタイトルに『風の歌を聴け』を挙げたが、こんにち的価値は半ば記念碑的になっている。それでも前回書きながら〈転向〉という切り口なら、ただのモニュメントにもならないなと思ったので、書く。
転向とは何か
今からふりかえって、〈転向〉がわかりづらいのは、歴史的な事象に属すると見なされている以上に、それがあまりに日常化していて批判が批判として成り立たないことにあるだろう。すこし説明する。めんどうくさい話かもしれない。とはいえ、なんとか分かってもらいたいのである。
本多秋五によれば、という但し書きをつけて吉本隆明が『転向論』*1の冒頭に書いている。
本多によれば、転向の概念は、つぎの三種にきせられる。第一は、共産主義者が共産主義を抛棄する場合、第二は、加藤弘之も森鷗外も徳富蘇峰も転向者であったという場合のように、一般に進歩的合理主義的思想を抛棄することを意味する場合、第三は、思想的回転(回心)現象一般をさす場合である。
※筆者註:本多秋五『転向文学論』からの孫引きになる
補足すると、第一の場合はキリシタンの棄教みたいなものである。信じていたことを捨てる。これは「信じていた」という内面の哲学や思想を、果たして捨てると言って捨てられるものなのかどうか、というもんだいが残る。捨てた後に、共産主義なりキリスト教そのものに興味を持たなくなる、とした場合、吉本は「『無関心』的な転向」と呼んでおり、またいっぽう、〈転向〉しないことで時流から〈転向〉することを「『非転向』の転向」と呼ぶ。
第三は一般現象なので措くが、第二が第一とどう違うのかわかりにくい。
それというのも、〈転向〉という言葉じたい、「司法当局がつくったもの」で「当局が正しいと思う方向に個人の思想のむきをかえることを意味した」*2からだ。とうぜん、加藤弘之鷗外蘇峰のじだいに〈転向〉はない。筆者はキリシタンに喩えたが、正確にいえば間違っている。
鶴見俊輔ら、思想の科学研究会による『共同研究 転向』も、この〈転向〉のわかりにくさを説明して、なんとか言い換えの言葉を探している。
〈転向〉の主体者からすれば「思想の変化」「心境の変化」「思想の発展」「成長」「成熟」、それを強いた権力からみれば「屈服」「挫折」というような具合で、どれもしっくりこない。逆にいうと、これらの言い換えをすると、〈転向〉という語に含まれた、権力の強制に遭いながらも結果としては自分の意志で主義を捨てたこと、が捨象されてしまう。
現在は、自らくるくると意見を捨てて、より大きな権力の言うことに従うのが一般常識になっているから、何の不思議も見当たらないかもしれない。実はいかなる異論も存在しない世界。対立と分断の安全性はすでに検査済みだ。
さて、ところが、〈転向〉という現象によって、思想や哲学が屈折屈曲されられることをもんだいとした時代があったのである。この現象の最後尾をどこに見出すかは、なかなかむつかしいが、そのひとつに60年代70年代の安保闘争、学園紛争の終焉と、その〈転向〉があるだろう。
政治の季節とその終焉
『風の歌を聴け』の「僕」は「文章を書くことは」「自己療養へのささやかな試み」であると冒頭近くで記す。
しばしば現れる「書くこと」じたいへの懐疑は、多くのファンと追従者を生むいっぽう、誤解と反感をまねいた。
それそのことを明らかに指呼しないことは現実への「無関心」を決め込んだファンと追従者を生み、「書くこと」の自明を疑わない者たちからは格好つけのポーズだと誤解され、反感を持たれた。
すでに指摘しつくされているように、作中のデレク・ハートフィールドなる作家はフィクションで、この仮構の作家をめぐる偽史が、かろうじて本作のあらすじらしきものを支えている。仮構が仮構を支えているという、いささか複雑な構造をしている。
つまり、現実全般を構成し成立させているすべてのことに懐疑があり、それが「僕」の自己言及的な文章ともなっている。へんな言い方になるが、懐疑が懐疑をなんとか支えているような文章だ。
しかし、本当のことにさえ、いや、本当のことにこそ、「僕」は疑心を抱いている。
「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」
鼠はカウンターに両手をついたまま僕に向って憂鬱そうにそうどなった。村上春樹『風の歌を聴け』より引用。本文は全文に傍点。
「金持ち」が「ダニ」で「虫酸が走る。」と口にする「鼠」の話に読者が同意するのか反論するのか、筆者はしらないが、不可解なことではある。
「僕」と「鼠」の出会いが作中から「3年前」で「僕たちが大学に入った年」。そして「人間は生まれつき不平等に作られている。」という真偽不明のJ・F・ケネディの言葉。
ちらばった断片を手にすることで、「政治の季節」の終わりが背景にあることを読者は知るだろう。安保闘争の終焉が、政治闘争だったかどうか、ただの流行だったのか、議論の余地はおおいあるだろう。けれども、多くは「いちご白書」のように〈転向〉していき、まるでなにごともなかったかのように、終わりを迎えたのである。
現在から、その時代を知ることは難しい。それは、かつての共産党の〈転向者〉同様、かれらも自らの背信について口をつぐんでしまい、今なお語らないからである。たとえば左翼の理論家から右翼言論の気鋭になりおおせた者、活動家から大企業に就職した者、ファッションとして受け止めすんなり捨てた者。
もちろん、言及した著作はある。山ほどある。しかし、どう読んでも実態がわからない。筆者はその時代を生きていないから、さらにわからない。
すでに書いたように、それらは「思想の変化」「心境の変化」「思想の発展」「成長」「成熟」「屈服」「挫折」というかたちでなら読める。なんとか読める。しかし、本質的な、核心ぶぶんが意識的、無意識的に、巧妙に避けられているのである。
〈転向〉という言葉にまつわる「恥」とか、後ろ暗さとか、そういうごまかしに言及しているものが見当たらない。単に露悪的だったり、自虐的なたわむれに過ぎないものだったり、美化したり、他人のそれを語るような懐古だったり、する。
日本への回帰
これらは、総体的にいって、〈世間〉や〈社会〉とは結局そういうものである、といういかにも日本らしい〈日本への回帰〉に帰着してしまうことをあらわしている。
しばしばそれは〈現実的〉とか〈現実〉という言葉で語られるものだ。みな〈転向〉したあと、〈日本〉という〈現実〉へと帰ってゆく。これなら、今でもなんとか思い当ってもらえるかもしれない。
いいかえれば、〈理想〉と〈現実〉との対立がかならず後者の勝利に終わることへの疑問が発生しないのである。理想理念は捨てられ、次の新たなそれへと飛び移ってゆく。この移り際に、なにか不透明なものがあるはずなのだが、それが、ふつうのことだ、という常識の範囲で処理されてしまう。あるいは、社会に出て大人になる、というふうに理解されてしまう。
そんななかで、どうみても政治的ではない「僕」と「鼠」だが、こうした〈理想〉も〈日本への回帰〉も拒絶しているのである。
コミットメントも協力もしないし、するつもりもなく、むしろ「政治の季節」を苦々しい思いで眺めていたに相違ない。そのシニカルさは〈転向〉を横目に見ながら、軽蔑し、苛立ち、堪えかねるものを堪えているようだ。それを象徴的に、「金持ち」と言った「鼠」は「虫酸が走る」と言うのである。
左翼思想という、社会の改革やあるいは革命、既存の旧弊した権力との対峙を骨子とする思想のうしろにあるそれを、〈時代の精神〉とよぶなら、もののみごとに〈日本への回帰〉という〈転向〉を果たしてゆく、そのありさまは、その思想と〈時代の精神〉への裏切りと言っていいだろう。
しかも、これは単なる裏切りに終わらないのである。その〈日本への回帰〉によって、その裏切りが、なかば正当化、自分と家族が生きるためにはしかたのないことだ、という自己瞞着を生み、当人にも本心かどうか見分けがつかないくらいまで塗りつぶされてしまうことに、一番のもんだいがある。
ゆえに、「僕」と「鼠」は、逆説的なことに、反感を持っていたはずの〈時代の精神〉を、ある種の、誠心誠意をもって引き受けることになる。その自己瞞着への、抜きがたい疑問と激しい疑心があるからだ。
これは、前回『李陵』で書こうとして書き損ねたことにも繋がっていて、ほとんどの人びとが感応せず、省みもしない、道徳とはまるで別個の、過剰なまでの倫理的な潔癖さ、と呼んでもいい。
ここに、先に挙げた吉本隆明が説く「『非転向』の転向」が生まれる。
この「『非転向』の転向」の立場は、もとより〈転向者〉の立場ではないが、その単なる批判者、糾弾者の立場でもない。
〈理想〉と〈現実〉を使って説明すると、彼はもともと〈理想〉に賛同していない。そして〈現実〉にはなおさら賛同していない。〈現実〉が〈理想〉を回収してゆくことじたいへの疑問と批判があるという、現実にあるのかどうか実に危うい立場に立つことになる。
『風の歌を聴け』の文体
こうしてみると、感傷や追憶として読まれることは、「僕」と「鼠」がたんに時代遅れである、時流の変化に取り残されたように読めてしまうし、アメリカナイズされた描写と風俗は、空想の格好つけに読めてしまう。
そんなわけはない。
作家が、任意でお好みの文体を選び書けると思うことこそが空想だと言っていい。必ずやその文体でなければならないのである。〈理想〉でも〈現実〉でもない立場から書かれることを目論んだこの作品は、日本語で書かれながら、日本のどこにも帰属しない文体で書かれなければならなかったのではないか。
村上春樹以降という言い方をすると、それ以降、追従者と真似とこうしたファッションが流行定着した。こんにちからは、実に見えにくくなっているが、この日本に帰属しない、もしくは限りなく遠い文体は、「僕」と「鼠」の「『非転向』の転向」の物語のために創出されたものだ。
軽妙とも軽快とも称される文体は、インテリや知識、理知、思想への強い不信が見て取れる。かんたんに言う。
それは、偉そうなことを賢げに言ったくせにかんたんに変節し、恬としてそれを恥じ入りもしないのが知識と思想なら、そんなものに依存して書くことはけっしてしまいという作家の意思のあらわれだ。
とはいえ、作家は、一般大衆へ迎合して〈現実〉という〈日本への回帰〉もできない。
また、この文体は、しばしば自己韜晦として批判される文体でもある。
これは、それをそれと指呼した瞬間に誤解される日本語文への批判であり、拒絶である。たとえば、「あれは政治の季節が終わった頃」と書いた途端に、自動的に論理が再生される文脈から離れるための装置であり、武器でもある。
〈日本的文体〉が日夜膨大な〈日本的社会〉を再生産していることは、改めて指摘する必要もないだろう。政治の文体、小説の文体、週刊誌の文体、新聞の文体、すべては用意されていて、みなその中で決められたリズムを刻む。そしてリズム以外のことは言うことも、書くこともできないのである。
これへの批判が、作中作家が何度も言及することになる「書くこと」への懐疑である。
決められたリズムの中でそれを刻むだけだから、その論理の完結性は非常に高い。しかし、それは、それぞれの文体のなかだけでのみ成立するもので、論理的整合性が高いということはそれだけ隠蔽、遺棄されたものが多いということでもある。
だから、作家じしんが「ジャンク」とか「寄せ集め」と称したこの小説は、隠蔽、遺棄されたものを暴き、拾うことができる。少なくとも、書きとめることができたのではないか。
*
言うまでもなく『風の歌を聴け』は、村上春樹が、どこでもない場所から、どこでもない場所へ向かい始めたデビュー作。過去の記念碑とするには読みつくせないほどの価値がまだまだあるようだ。冒頭筆者が記したことながら、最後に訂正しておく。