誰かあの本を知らないか

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H・G・ウェルズ『世界文化小史』世界最終戦争の顛末

 

大戦争

日本にとって世界大戦といえば、第二次世界大戦がまず頭に思い浮かぶが、世界史つまり西欧史では第一次世界大戦のことを言う。

英語でも、いまだに定冠詞をつけて“The Great War”〈大戦争〉と言う。

本書『世界文化小史』は、1920年に刊行された邦題『世界文化史大系』*1を2年後の1922年に1/5のコンパクト版にして小冊子にまとめたものである*2

発行年を見れば分かるように、〈大戦争〉後の混迷のなかで、指針を示すべく書かれたのが本書である。

今でいうサイエンス・フィクションの元祖とされるウェルズだが、1901年に書かれた『世界最終戦争の夢』は、結果として予見された虚構が実現してしまったわけだ。

もちろん、占い師じゃないから予見や見識をほこる者などいない。今ならいるかもしれないが、そういう趣味はウェルズにはない。そもそもそんな甘い状況に、ヨーロッパはなかった。

そこで書かれた本書は、歴史を知っていれば、歴史に学んでいれば文化を死滅されるような〈大戦争〉を避けえたのではないか、という啓蒙的な意図をもっている。

本書の特徴

本書の特徴は、空間と時間から歴史を説き起こすところにある。

時空間からはじまって、原生生物、魚類、爬虫類、鳥類、そして哺乳類へと続いてゆく。

つまり化学、物理学から生物学へと展開してゆくそれを歴史とみなしている。歴史を人類ひとりに独占させないのである。

猿人類、原人、ネアンデルタール人をめぐる記述には、こんにちからすれば訂正箇所もあるだろうが、それは一人の人間が歴史を書くことの限界と栄光だから、どうでもいい。

そして現生人類が登場するところで本書全体の1/5がかかっている。まどろっこしいだろうか。けれども、実際の時間軸におきかえたら、これでもずいぶん短縮させたものだ。

また、古代地中海にまず文明を見出すいっぽうで、ユダヤ人、仏陀孔子老子にまで目を配る視座は、世界平和“Pax Mundi”への、お祈りが入っている。もちろん、このバランス感覚は、西欧史を語るうえで、ウェルズに相対的な分析と記述をもたらしている。よって、あんがい〈公平〉に書かれているのである。

歴史学が、西欧中心主義からの脱却を大仰に唱え始めるのが、やっと第二次大戦後だったことを思えば、はるかに早い。

西方での機械革命によってヨーロッパ人にもたらされた、旧世界の他の部分に対するまったく一時的な優越性が、蒙古人の大征服のような事件をまったく知らない人々によっては、ヨーロッパ人の永久的で保証された人類指導権の証拠だとみなされていた。こうした人々は、科学やその成果が移転しうるものだという感覚を持たなかった。彼らは、中国人やインド人が、フランス人やイギリス人と同じように、立派に研究事業を続けうることに気づかなかった。西方には何か生得的な知的推進力があり、当方には何か生得的な怠惰や保守主義があり、ヨーロッパ人に世界の支配を永久に保証するものだと信じていた。*3

ポール・ヴァレリーの見識に近いが、モンゴル帝国の隆盛から産業革命、そしてアジア侵略まで簡潔に書ききる文体は、見通しがいい。しかし、本書が第一次世界大戦の顛末とありうべき未来への提言として書かれたことを思えば、上記の記述は、西欧文明の傲慢への批判と読むべきものだ。

大戦争〉後

よって、コンパクト版の本書でも、〈大戦争〉後のヴェルサイユ条約をめぐる記述は分量が多い。

われわれは、ごらんのとおりの恐ろしくも無法な、あの闘争が終わり、何物をも開始せず、何物をも解決しなかったことに気づきはじめている。それは何百万もの人々を殺し、世界を荒廃させて貧困に陥れた。《それはロシアをすっかり粉砕した》。それはせいぜいわれわれが危険な同情のない世界で、たいした〈計画〉や先見の明もなく、愚かで混乱した生き方をしていたことを想い出させる、激烈な、ぞっとするほどの事件であった。

大戦争〉を「事件」と言っているのは、有史以来の歴史のなかに、第一次世界大戦をも、なんとか収めようというウェルズの意図である。しかし、その苦心より苦悩と認識がまさっているようだ。

戦争のために組織化された国家が戦争を起こすのは、雌鶏が卵を産むのと同じくらい確かなものだ

という皮肉はとても笑えない。またこの皮肉は、国際連盟を呼び掛けた、時の合衆国大統領ウィルソンにも向けられる。当時、一時的にではあれ平和の輿望を担ったウィルソンだが、

こうした期待を彼がどんなにか完全に失望させ、また《彼の作った》国際連盟というものがどんなにか弱体でくだらないものであったかということは、〈ここで語るにはあまりにも長く、あまりにも悲痛な物語である〉。

よって、ウェルズの未来展望は暗い。末尾で、発展と栄光を謳い、それを信ずることを表明するウェルズだが、

人間のしてきたこと、人間の現状のささやかな勝利、そしてわれわれの述べてきたこのいっさいの歴史は、人間が今しなければならない事柄の序曲を形成しているにすぎない。

かろうじて立ち上がり、前を向く、というような結びで本書を終える。

「序曲」がなんの「序曲」になったかを読者は知っているわけだが、人類が人類に懲りるということはないらしい。ウェルズの顰にならえば、人類は日に新たで、日々に新たで、また日に新たなのである。まあ、笑っている場合ではない。今日も人類が人類を殺している。とてもではないが、元気なことを言う気にはなれない。

 

*1:原題は“The Outlines of History”『歴史の概要』

*2:本書解題による

*3:H・G・ウェルズ『世界文化小史』角川文庫より引用。以下、引用は同書による