筆者、若いころによく読んだ本である。恥をさらすようだが、控え目に言って狂わんばかりに読んでいた。
或る日を境に読むのをやめた。やめなければならないと自ら禁じた。
「恥」と言ったが、村上春樹を読んで『ノルウェイの森』が好きだと言うと笑われる時代があったのである。今でもそうかもしれない。しかも、その嘲笑の理由はいちいち尤もで、その正しさは若い筆者に堪えた。
サムネイルの画像を撮影するのに引っ張り出したが、表紙をひらいてみる気にはなれない。なんとなく、昔の恥辱が残っていそうで怖いのである。
自分に禁じたのは、ひとことで言えばその淫するがごとき感情を己に許すべきではないと思ったからである。なにしろその感情を己に許している限り、若い筆者は幸せにはなれそうもなかった。じっさい不幸であったはずだ。しかもそれが良いことだとさえ思っていた。
読者とは書いてあることは必ずしも読まないくせに、書いてもいないことは必ず勝手に読むものだ。世界でこの小説がわかるのは自分しかいないと思いこんで、読み方も感情もコントロールできないまま読んでいた。
引っ張り出した本を開いていないと書いたが、じつは開く必要もないのである。とうぜんのことながら、そらんじている。
影響を受ける、なんて生ぬるい。通常の、読み、書き、に支障が出るくらいであった。
これ、経験というよりは事故である。
その後、それがロマン主義的アイロニーと呼ばれるものであることを知った。少しずつ調べたり、本を読み、考えている。死んだ子供の歳を数えているようなところがないでもない。それでも筆者は、掻き毟られるような感情に翻弄された私というものが何なのか、何であったのかを知りたいのである。
ちなみに、何回か引っ越しを重ねるうちに上巻だけどこかへ行ってしまった。
クリスマス・カラーのサンタ服のような、真っ赤な装丁だった。