読書術
「読書術」こんなタイトルの記事や書籍は多い。どれも素晴らしい内容が記してあると思う。読んだことはないから思うだけではある。
早わかり、なんてのも多い。結論をはじめに言うが、人間は早わからないものである。
早くわかれば、早く忘れる。また覚えられると言うか。懲りないやつだな。
読者をやつ呼ばわりしてはいけないが、すぐにわかりたいという願望の切れ端に、好奇心があることは認めよう。そして、自身では意識していないが、願望には思ったよりも切実なものが芥子粒ほどは混じっていることも認めよう。
昔のひとは、読書百遍義自ずからあわらる、と言った。これは頭の良いひとの場合だ。筆者のごときは、百遍くらいじゃわからない。わからないから脇に逸れる。そこでもまた、わからない、に出くわす。そのうち、わかる、とは何かを考える。これは書物には書いていない。書いてあるのは他人の、わかった、である。筆者には関係ない。これは、創造、捏造、妄想、世迷言、寝言、主張、哲学、へんてこ論などを堂々巡りして、たぶん、こんなことじゃないかしらと、おずおず思うものだ。それで、それでもわからないものだ。
ノートに取れとか、メモを作れとか、ペンを万年筆をつかえ、というのは文房具屋さんの営業である。生活がかかっている。ただ一冊一本あれば事足りる。そこまで協力しなくていい。
ちなみにこの作文はスマホを使っているから、それさえ要らない。
本だって、実はそんなにたくさん要らない。ほっておくと悪貨が良貨を駆逐するからたまには新刊も買う。
本は原則、頭から読む約束だが、中ほどから読んだ方がわかりがいいものもある。もくじがあればこれも見る。良書なら、全編の地図になっているはずだ。結論がくだらない本は読むに及ばず。買う前に、ちらと横目に見ておくべきだ。
筆者もつい使ってしまうが「〇〇的」を乱発していれば、たぶん作者の頭が悪い。
ひっかかるところがなければ、その読書は失敗だ。ひっかかるところばかりでも同断。
読む目的があったほうがよいが、目的だけで読んでいると視野が狭くなる。まれに、自分の大発見に出会うこともあるから注意されたし。
気持ちのいい本ばかり読んでいるのは自分を甘やかしすぎだ。虫の好かない本もたまには手に取る。意外、というのは人間と同じ。
それから、どれほど辛く厳しく恵まれない人生でも、本を開いているときだけは貴方の時間。これはほんのわずかだけれど、人生の幸運です。
以上、自戒をこめて筆者記す。
(ふざけすぎたかしら)