堀辰雄『風立ちぬ』構造の向こうへ
感想、序言に代えて
読み終えて、思ったのは江藤淳のことである。
江藤淳といって若い方にどれくらい通じるのか不安になるけれども、思い出したのは『昭和の文人』にある堀辰雄評ではなくて、『妻と私』のほうである。まえに大塚英志が確かそれに触れていたのを思い出した。
唾棄、といってもいいくらいの激しい言葉で批判をくりひろげていた江藤淳が、けっきょく江藤淳じしんの『風立ちぬ』を書いて、そして自殺したことにあのとき、生きる人間の蕭然としたものを感じた。蕭然、とは、雨に濡れた小石のように人間はさびしいということ。そうした意味では、江藤淳にとって「いざ生きめやも」は誤訳ではなかったのかもしれない。さあ、それでも生きられるだろうか? いや、……。
文庫本の解説をみると、堀辰雄が毛嫌いされる一般イメージが列記されている。
曰く「素敵な夢のようなもの」「現実であるには純粋すぎるもの」「快い逃避の文学」「雑駁な社会には生きていなかった」等等*1。
はるか後年の村上春樹に、そのまま当てはまりそうな批判の理由があげられている。
もちろん、中村真一郎はそうではないことを解説のなかで、大いに弁護している。
『風立ちぬ』年譜
『風立ちぬ』成立の年表*2である。簡潔にしたつもりだが、却って読みにくいかもしれない。
昭和10年(1935)7月、許嫁と共に富士見の療養所に入る。12月矢野綾子死去。美濃部達吉の天皇機関説の問題化。
昭和11年(1936)12月「序曲」「風立ちぬ」『改造』2.26事件。ロンドン軍縮会議脱退。
昭和12年(1937)2月、喀血し鎌倉の額田保養院に入院。1月「冬」『文藝春秋』 3月「春」(旧題、「婚約」)『新女苑』盧溝橋事件、日中戦争。
昭和13年3月(1938)「死のかげの谷」『新潮』。国家総動員法成立。ミュンヘン会議。
昭和16年(1941)太平洋戦争。
昭和20年(1945)敗戦
日本の15年戦争下に『風立ちぬ』は書かれた。そういう意味では、「戦争文学」ではないく「戦時下」文学である。
本作を読み終わってからこの年譜を起こしたのだが、年号をのぞけば大して近頃と変わらない。そんなことを思いながら書いた。
作品成立の年表と、作品じたいを見比べるとわかるが、
「序曲」「風立ちぬ」「冬」「春」「死のかげの谷」(発表順)
「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」(構成順)
書かれた順番と構成は異なる。発表順で読んだばあいと、構成順のばあいとで、読み方はまるで違ってくるが、並び順は、構成上の要求とひとまずは言えるだろう。もちろん、旧題「婚約」を「春」と変えて入れ替えたあたりには傷ましさを覚えるが……。
物語構造論
とはいえ、先に結論を言うと、この作品は、「風立ちぬ」章をピークとした〈往きて帰る〉物語構造で書かれている。とうぜんながら、私小説に分類される要素、許嫁の死、があるから、そのようにも読めるのだが、物語として読むなら、いろいろと意味合いが変わってくる。
【物語構造】
「序曲」日常の世界
「春」旅立ちへの誘い
「風立ちぬ」関門を越える、非日常の世界
「冬」危険な場所への接近、最大の試練
「死のかげの谷」復活、帰還、日常の世界
プルーストやリルケの影響が指摘されているが、堀辰雄が広範な読者を獲得したのはそれらのせいではないだろう。だいいち、一般の読者は『失わし時を求めて』なんて読んでいない。読んだとしても、いつまでたっても「スワン家のほうへ」行ったきりでそれより先に進みやしない。
「構造」なら、年齢・人種・性別・教養を問わず開かれている。大塚英治が再三、執拗にこの「構造」をめぐる著作を刊行しているのも、そこに含まれる民主性と平等性を見ているからだろう。
作者にとって、「私」に起きたできごと、許嫁との別れ、を私小説で書くのではなく、物語という確固とした形式にのっとって書いたのは、横溢してとめどもない「私」をつなぎとめるためだろう。そしてそれが今度は読者にとって、物語の形式によって読むことができるのである。
それが果たしてうまく行ったのかどうか。
堀辰雄と村上春樹
結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みに過ぎないからだ。
物語形式の援用は、村上春樹批判のひとつであるが、上記の引用のように、それ自体への懐疑があることを批判者たちは見ない。自己韜晦、そらとぼけのポーズだと思われている。物語構造への懐疑は、堀辰雄にも、村上春樹『ノルウェイの森』にも十分すぎるほど、ある。だから、解決したようで、何も解決しない。私小説のような虚実のさかいを失った創作はとうてい認められないが、物語の不可能性もじゅうぶん認識している。
「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変わるから他(ほか)にも自分にも解からなくなるだけの事さ。*3」
『風立ちぬ』においても末尾、
「おれは人並以上に幸福でもなければ、又不幸でもないようだ。」
と述懐される主人公の独白は、「ささやかな試み」と言ってよいだろう。
これはかっこうつけのポーズなのか。
これもどこかで大塚英治が書いていたはずだが、国家や制度の抑圧が強くはたらくなかで、「私」が「私」と「私たち」に流されるのではなく、物語とその構造に拠って、辛うじて凌いでゆく、その凌ぎ方がそれを援用させているのではないか。国家や制度のまんなかで、批判と批評を行い、「公」であろうと意志した江藤淳が、「私」の崩壊にたえかねたことと表裏しているのではないか。
もちろん、物語を経て、得るものがあったのか、あるいは失うものしかなかったかは、分からない。
けれども、それでも生きることを選択するとは、ひとつひとつの、物語のエンドマークをきちんと打つということであり、「解決しない」物語を引き受けて、死ぬまで先へと進むことだろう。
いかなる物語もエンドマークをおいて終わる。そして現実へ帰ってゆく。鳥は巣に帰らなければならないし、犬ですら犬小屋で眠りにつく。ペンは置かれ、本はそっと閉じられる。小説とは、そのために存在するのではないか?
「自己療養へのささやかな試み」として。
『風立ちぬ』
『風立ちぬ』において、この「療養」は言うまでもなく果たされなかった。節子は失われたし、主人公の私も同様に彼女を失い、日常への帰還というにはあまりに辺境な果てに帰りつく。癒される、その予感はほのめかされてはいるが…。
いっぽうで「現実」の背景には、300万人以上の同胞を殺し、それ以上の人類同胞を殺しに殺した戦火が燃えているはずなのだが、それは丁寧に取り除かれている。これは「現実逃避」であろうか。戦争文学が必ずしも戦争を描けているわけではないように、「現実」を書けばそれが現れるわけではないだろう。
ひとにある「現実」はそのひとだけのものだ。みんなと同じ「現実」を強要することを、しばしば権力や世論は行ってきた。今でも変わらない。
物語構造のなかに収められた『風立ちぬ』は主人公にとっての「現実」である。
『風立ちぬ』という小説が書かれたことは、堀辰雄にっての「現実」である。
他人が他人に強いた「現実」ではない。
筆者は、宮崎駿のくだんのアニメーション映画をみていないのだが、描こうとしたことはなんなく想像できそうだ。ずいぶん悲壮な贈り物なのではないか。
しかし、物語とは何ぞ。みんな知って享受して、エンターテインメントしているそれが何なのか。筆者はわからないでいる。書いてみたら余計にわからない。愚かとは情けのないものである。